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イーゲン井上(イーゲン いのうえ、Egan Inoue、1965年6月4日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。日系アメリカ人4世。ハワイ州ホノルル出身。イーゲンズ・トレーニング・センター所属。ブラジリアン柔術黒帯。 地元ハワイでは、絶大な人気を誇っていた。 総合格闘家のエンセン井上は実弟。 == 来歴 == 祖父の影響で、3歳で松濤館空手を始める。小学校から高校までは、野球とバスケットボールを経験。16歳でラケットボールを始め、ハワイ大学ラボラトリー・スクール時代に州王者となった。 卒業後もラケットボールを続け、20歳でプロ選手となり、1986年には初めて世界タイトルを獲得。1990年には2度目の世界タイトルを獲得した。同年、ラケットボール製造会社「E-FORCE(イー・フォース)」を設立。1993年、怪我によりプロラケットボール選手を辞め、E-FORCEも売却した。 ラケットボール引退と前後してブラジリアン柔術を始め、エリオ・グレイシーの次男であるヘウソン・グレイシーに指導を受けた。1995年には地元ハワイにグラップリング・アンリミテッドを設立。 1995年10月13日、ザ・トーナメント・オブ・J '95に参戦。1回戦でアレクサンダー大塚、準決勝で郷野聡寛に腕ひしぎ十字固めで一本勝ちするも、決勝で高阪剛に判定負けし、準優勝となった。 1996年8月24日、初参戦となったリングスで成瀬昌由と対戦。激しい打撃戦となったが、グラウンドで顔面パンチを繰り出し、反則負け。 1999年2月、アブダビコンバット88kg未満級に出場。1回戦でロビー・キルパトリック(ケン・シャムロックの兄)に一本勝ちし、2回戦ではヘンゾ・グレイシーにポイント勝ちするも、4位となった〔ADCC Championships 1999 -88kg Result adcombat.com〕。 1999年4月29日、PRIDE初参戦となったPRIDE.5で豊永稔と対戦し、パウンドでTKO勝ち。 2000年3月、アブダビコンバット88kg未満級に出場。1回戦でエミール・チャトゥリアンに判定勝ちするも、2回戦を棄権した〔ADCC Championships 2000 -88kg Result adcombat.com〕。 2001年4月、アブダビコンバット88kg未満級に出場。2回戦でヒカルド・リボーリオに判定勝ちするも、準決勝で菊田早苗に判定負け。3位決定戦でもニーノ・シェンブリに判定負けし、4位に終わった〔ADCC Championships 2001 -88kg Result adcombat.com〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イーゲン井上」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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