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イーゴリ・ブラジュコフ : ミニ英和和英辞書
イーゴリ・ブラジュコフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イーゴリ・ブラジュコフ : ウィキペディア日本語版
イーゴリ・ブラジュコフ[ちょうおん]

イーゴリ・ブラジュコフ(英:Igor Ivanovich Blazhkovウクライナ:、ロシア: 1936年9月23日 - )は、ウクライナのキエフ出身の指揮者
== 略歴 ==
キエフ音楽院ではアレクサンドル・クリモフ、およびレニングラード音楽院ではムラヴィンスキーに指揮法を学んだ。1959年、ウクライナ共和国指揮者コンクールで優勝。1958年から63年まではウクライナ国立フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務め、63年から68年まではレニングラード・フィルの指揮者の地位にあった。
指揮者のゲンナジー・ロジェストヴェンスキーは、1968年に雑誌のインタビューに答えた際、若い世代の最も有望な指揮者として、ズービン・メータテミルカーノフ小澤征爾アバドとともに、ブラジュコフの名をあげている。
ブラジュコフの顕著な業績としては、ソ連国内におけるストラヴィンスキー作品の演奏があげられる。作曲家自身と親交を持っており、またムラヴィンスキーが所持していた「アゴン」のスコアは、ブラジュコフが贈ったものであった。
また1965年には、ショスタコーヴィチ交響曲第2番第3番の蘇演をレニングラード・フィルとともに行っている。
その後は、キエフ室内管弦楽団、ウクライナ国立交響楽団、ペルペートゥム・モービレ管弦楽団のポストを務めた。
2002年からは、ドイツのポツダムに居住している。2004年と2005年には東北大学交響楽団の招聘で来日し、同団の定期演奏会でチャイコフスキーの交響曲などを指揮した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「イーゴリ・ブラジュコフ」の詳細全文を読む




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