|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
イーディス・ロバーツ(, 1899年9月17日 - 1935年8月20日)は、アメリカ合衆国の女優である〔Edith Roberts, Internet Movie Database , 2010年6月4日閲覧。〕。日本では大正時代にエディス・ロバーツと紹介された〔エディス・ロバーツ、キネマ旬報映画データベース、2010年6月4日閲覧。〕〔エディス・ロバーツ、allcinema ONLINE、2010年6月4日閲覧。〕。出生名はイーディス・ジョゼフィン・ロバーツ()〔。 == 人物・来歴 == 1899年(明治32年)9月17日、ニューヨーク州ニューヨーク市に生まれる〔。20歳年上の姉レオナ・ロバーツも女優で〔、イーディスは子どものころからヴォードヴィルの舞台に上がっていた〔Edith Roberts, allmovie , 2010年6月4日閲覧。〕。 1914年(大正3年)、アメリカン・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニーが製作した短篇映画 ''The Wrong Birds'' に原作としてクレジットされる〔。1915年(大正4年)、インディペンデント・ムーヴィング・ピクチャーズに入社、同社が量産する短篇映画に出演する〔。 1916年(大正5年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に移籍、同社傘下のヴィクター・スタジオ、ネスター・スタジオが量産する短篇映画に多く主演する〔。とくに1918年(大正7年)からは、エディ・ライオンスとリー・モーランのコンビが監督・主演する短篇コメディが量産され、そのヒロインとしてレギュラー出演している〔。ユニヴァーサルの子会社・ブルーバード映画では、同年7月22日に公開された、トッド・ブラウニング監督の『呼兒鳥』に主演し、満18歳にして一躍スターとなる〔。以降、ライオンス=モーランの短篇の合間に、『偽紫』、『密書を抱いて』、『気の向くまゝに』、『南部の娘』、『赤い酒』と翌1919年(大正8年)に同社が製作をやめてユニヴァーサルに吸収される最後まで出演した〔〔『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.1.〕。これらはすべて、日本でも公開されている〔『ブルーバード映画の記録』、p.60-63.〕。 1922年(大正11年)、ユニヴァーサルを去り、セシル・B・デミル監督の『土曜日の夜』以降は、各社に出演、多くは主演した〔。初期のトーキーにも出演したが、満30歳を迎える1929年(昭和4年)、映画界から引退する〔。 1935年(昭和10年)8月20日、カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドで、夫ハロルド・カーターとの間に生まれた長男のロバートを出産した直後に、敗血症で死去した〔。満35歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イーディス・ロバーツ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|