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ウァレンティヌス(Valentinus, ? - 269年2月14日?)、あるいはヴァレンタイン (Valentine) は、3世紀頃のキリスト教の聖職者。正教会・カトリック教会・聖公会・一部ルーテル教会で聖人とされている。 カトリック教会においては1969年までは2月14日を聖ウァレンティヌスの殉教の日としていたが、第2バチカン公会議後1969年の典礼改革で、史実上の実在が明らかでない聖人たちは整理され、現在カトリックの聖人暦に彼の日(St. Valentine's Day)はない(ただし、崇敬されなくなった訳では無い)。 西ヨーロッパ:西方教会においてはこの聖人への崇敬が基になってバレンタインデーの習慣が定着したが、東方教会には恋人とウァレンティヌスを結びつける習慣は生まれなかった。記念日・記憶日なども正教会とカトリック教会とでは異なっている。 == カトリック教会における聖人像 == この聖人の実像ははっきりしない。カトリック教会においては、カトリック百科事典によれば次の3人の像が重なっていると見られている。 # ローマの司祭 # インテラムナ(現在イタリアのテルニ)の司教(主教) # ローマ帝国領アフリカの殉教者(致命者) 3については分かっていないが、1と2の2人はいずれも3世紀後半に殉教したと見られている。 一説によれば、269年2月14日キリスト教の信仰を捨てなかったために絞首刑に処せられたという。 彼についてのエピソードには、次のようなものが伝えられている。 * ローマ皇帝クラウディウス2世は戦士の士気の低下をおそれて兵士たちの結婚を禁止した。ウァレンティヌスはこの禁令に背いて恋人たちの結婚式を執り行ったために捕らえられ処刑された。 * また彼は、結婚したばかりのカップルに自分の庭から摘んできたばかりの花を贈った。 * 監獄に居たとき、看守の召使の娘は目が見えなかったが、監獄の彼を訪れては説教を聞いていた。あるとき娘の目が見えるようになった。この奇跡を信じた彼女の家族がキリスト教に転向したため、皇帝は怒って彼を処刑した。処刑の前日に彼がこの娘に宛てた手紙は「あなたのヴァレンタインより」と署名されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウァレンティヌス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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