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ウアルドマイン(1937年-1941年?)は日本の競走馬である。第2回の横浜農林省賞典四歳呼馬(現在の皐月賞競走)勝ち馬として知られる。 * 馬齢表記はレース名をのぞき、すべて現在の馬齢表記に統一する(当時は数え年で表記していた)。 == 経歴 == 3歳になった1940年4月2日、中山競馬場の芝1800メートルの競走でデビューしたが、4頭立ての4着の最下位に敗れる。しかし続く2戦を連勝すると、横濱農林省賞典四歳呼馬では2着テツキヤクを首差抑えて優勝した。騎手は調教師兼任の野平省三であった〔当時は「調教師兼騎手」は珍しい存在ではなく、日本競馬会発足以前に免許を受けていた調教師(騎手)に対しては、1942年12月31日までは調騎分離に関する猶予期間とされたため、猶予期間中は引き続き調教師が騎手としても騎乗することができた。〕)。 続く東京の四歳呼馬も勝ち、東京優駿競走(日本ダービー)では1人気に支持されるもイエリユウの15着に惨敗。次走の古呼馬優勝ではクモハタの2着に健闘したが、以降は精彩を欠いた。この年の京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞)では5着に入っている。 4歳になった1941年も不振が続き、11月8日の古呼馬ハンデで競走を中止、これがラストランとなった。種牡馬になる事はなく、以後の消息は不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウアルドマイン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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