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ウィム・クロウェル(Wim Crouwel,1928年グローニンゲン - )はオランダのグラフィックデザイナー、書体デザイナーである。現在も現役で活動しており、オランダおよび欧州のグラフィックデザイン史において最も重要なデザイナーのひとりといわれる。 ==経歴== クロウェルははじめグローニンゲンで絵画を学び、後にアムステルダムに移ってIVKNO美術学校の夜学コースを受講しながら芸術家グループ〈Creatie〉に参加する。1952年、デザイナーであるディック・エルフェルス(Dick Elffers)とともに展示会の構成をおこなう事務所を設立。大きな仕事としてはスイスのグラフィックデザイナー、ジェラール・イフェル(Gérard Ifert)と写真家エアンスト・シャイデッガー(Ernst Scheidegger)とともに手がけた、欧州の戦災復興を扱った大規模な展示会の設計がある。1956年にはインテリアデザイナーのコー・リアン・レ(Kho Liang le)と事務所を設立。こうしてクロウェルは立体物の分野からデザインの世界に入ってゆくこととなった。 関わった二つのデザイン組織はいずれも文化施設や私企業をクライアントにしており、美術館や博物館を相手に仕事をすることも多かった。クロウェルとアイントホーフェンのファン・アッベ美術館(Van Abbe Museum)の長期にわたるコラボレーションはこの時期に始まったものである。同美術館の館長エディ・デ・ウィルデ(Edy de Wilde)は積極的にクロウェルを評価し、仕事にはデザインの自由が保証されていた。 1963年、クロウェルはベンノ・ヴィッシング(Benno Wissing)、フリゾ・クラマー(Friso Kramer)、ポール・シュヴァルツ(Paul Schwarz)およびディック・シュヴァルツ(Dick Schwarz)とともにデザイン事務所Total Designを立ち上げる。この事務所は多くの大企業を相手にコーポーレート・アイデンティティやサインシステムのデザインを行い、設立以来数十年間、オランダのグラフィックデザイン界に多大な影響を与え続けている。クライアントにはポスターやカタログのデザインを手がけているアムステルダム市立美術館などの一級の文化施設も含まれる。同事務所はグラフィックデザイナーの教育の場としてもオランダのみならず欧州中から高い評価を受けている。 クロウェルは常に教育にも関わっており、アムステルダムおよびデン・ボスの美術大学、デルフト工科大学(1972年 - 1985年)、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(1981年 - 1985年)、ロッテルダムのエラスムス大学(1981年 - 1993年)で教壇に立っている。 1985年から1993年にかけてロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館館長を務めた。 2007年にはタイトルと同名の書体を題材にしたゲイリー・ハストウィット(Gary Hustwit)監督のドキュメンタリ映画『ヘルヴェチカ』(''Helvetica'')に出演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィム・クロウェル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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