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ウィリアム・コーンウォリス : ミニ英和和英辞書
ウィリアム・コーンウォリス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウィリアム・コーンウォリス : ウィキペディア日本語版
ウィリアム・コーンウォリス[ちょうおん]
ウィリアム・コーンウォリス(Sir William Cornwallis、GCB1744年2月10日 - 1819年7月5日)はナポレオン戦争期のイギリス海軍の軍人。彼の兄はインド総督で初代コーンウォリス侯爵チャールズ・コーンウォリスである。
==生い立ちと初期の経歴==
ウィリアム・コーンウォリスは1744年2月10日に生まれ、1755年に海軍に入った。彼は急速に昇進を重ね、1766年勅任艦長となる。それからしばらくの間、彼はさまざまな艦を指揮して船団護衛などの平常時の任務をこなした。そして1779年に彼はジョン・バイロン提督のもと戦列艦ライオンの艦長をしていたが、7月6日グレナダ島の海戦においてライオンは手ひどい損害を受けて単独でジャマイカに帰還しなければならなかった。翌1780年3月、コーンウォリスはモンテ・クリスティ沖で僚艦2隻とともに優勢なフランス艦隊と交戦し、6月にはバミューダ付近でまた敵艦隊と遭遇した。フランス艦隊はロシャンボーの軍勢を北アメリカに輸送する途中で、戦列艦2隻と50門艦、フリゲート各1隻でしかないコーンウォリスの戦隊の相手としては強力すぎた。
ジブラルタル包囲戦に参加したあと、コーンウォリスは北アメリカに戻りサミュエル・フッド提督の指揮下でセント・キッツの海戦に、ジョージ・ロドニー提督の下セインツの海戦に参加した。この海戦については彼がロドニーの作戦指揮を口汚く非難した文書がいくつか残されている。
1788年、コーンウォリスは代将として東インドに赴任する。彼は1794年までインドで勤務した。ティープー・スルタンとの戦争ではポンディシェリ征服を援助するなど、一定の役割を果たした。彼は1793年2月1日に少将に、1794年7月4日に中将に昇任する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウィリアム・コーンウォリス」の詳細全文を読む




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