翻訳と辞書
Words near each other
・ ウィリアム・サローヤン
・ ウィリアム・サンソム
・ ウィリアム・サヴィル=ケント
・ ウィリアム・サーストン
・ ウィリアム・ザッカリー
・ ウィリアム・ザートマン
・ ウィリアム・シェイクスピア
・ ウィリアム・シェパード
・ ウィリアム・シェパード・ベンソン
・ ウィリアム・シェラード
ウィリアム・シェリング
・ ウィリアム・シェークスピア
・ ウィリアム・シゲイ
・ ウィリアム・シャイラー
・ ウィリアム・シャトナー
・ ウィリアム・シャラート
・ ウィリアム・シャープ
・ ウィリアム・シャープ (政治家)
・ ウィリアム・シャープルス・デリック
・ ウィリアム・シャープルス・デーリック


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ウィリアム・シェリング : ミニ英和和英辞書
ウィリアム・シェリング
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ウィリアム・シェリング : ウィキペディア日本語版
ウィリアム・シェリング

ウィリアム・シェリングWilliam D. "Billy" Sherring1878年9月18日 - 1964年9月5日)は、カナダの元陸上競技選手である。彼は、アテネオリンピック1906年)〔この大会は、現在のオリンピック史では非公式扱いとされている。詳細については、当該項目を参照のこと。〕の男子マラソン金メダリストとして記録に残っている。
== 経歴 ==
シェリングは、1900年代初めの世界的マラソン選手である。1900年ボストンマラソンでは、同郷のジャック・キャフェリーについで2位となった。また、彼はハミルトンでの「ベイロード周回競走」(:en:Around the Bay Road Race)に2回勝っている。
彼は1906年のアテネオリンピックのカナダ代表に選ばれたが、資力が乏しかった〔当時のシェリングの本業は、カナダのグランド・トランク鉄道(:en:Grand Trunk Railway)の車掌助手であった。〕。
シェリングはアテネへの旅費を調達するために、何とか金をかき集めた。彼はなけなしのその金を「''Cicely''」という名前の競走馬に賭け、幸運にも旅費を得ることができた。
シェリングはオリンピックの7週間前にアテネに到着し、現地の鉄道駅でポーターとして働いた。
本番のマラソン競走では、シェリングは殆ど全てのコースで先頭を走り、2時間51分23秒6のタイムで優勝した〔この大会でのマラソンの距離は、41.860km(26.01マイル)だった。〕〔Athletics at the 1906 Athina Summer Games:Men's Marathon 2011年9月2日閲覧。〕。ギリシャゲオルギオス王子は、最後の50メートルをシェリングに伴走した。
シェリングには、生きた子羊と女神アテナの彫像が褒賞として贈られた。シェリングがカナダに凱旋した後、ハミルトン市は5000ドルの賞金を贈り、トロント市はさらに400ドルを贈った。
この凱旋の後、シェリングは間もなく現役を退き、1942年までハミルトン市の税関で働いた。
彼の死後、「ベイロード周回競走」は、「''Billy Sherring Memorial Road Race''」と改名された。ハミルトン市はこの名高いアスリートの功績を記念して、「''Billy Sherring Park''」を造った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウィリアム・シェリング」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.