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ウィリアム・ロバートソン・デソブリー(William Robertson Desobry, 1918年9月11日 - 1996年1月12日)は、アメリカ合衆国の軍人。第二次世界大戦の頃から野戦指揮官としてアメリカ陸軍に勤務し、ベトナム戦争の際には軍事顧問としてベトナム共和国(南ベトナム)に派遣された。そのほかにいくつかの師団や軍団の指揮官、司令官、XM-1戦車タスクフォース(XM-1 Tank Task Force)の議長などを歴任した。最終階級は中将。 ==経歴== 1918年、陸軍大佐の息子として生を受ける〔。彼はイリノイ州シカゴの高校に通い、1936年にはハワイ州ホノルルのプナホウ大学を卒業している〔。1941年、ジョージタウン大学を卒業して理学士号を受け、また在学中に予備役将校訓練課程(ROTC)を修了していた為、卒業後に陸軍士官として任官した〔 U.S. Army (1966). "Biography of William R. Desobry, U.S. Army".〕。 1944年12月の記事で、ジョン・マクマナスはデソブリー(当時少佐)を次のように紹介している。 : 彼は身長6フィート4インチ、体重160ポンドの痩せた男で、歴戦の兵隊の息子である。陸軍士官学校ではなくジョージタウン大学への進学を選んだ為に家族の中の「反逆者」と見なされていた。ROTCを経て1941年に陸軍士官に任官。わずか4年後、その短い軍歴にも関わらず持ち前のリーダーシップを発揮して第20機甲歩兵大隊の指揮官として海外へと派遣されることとなった。彼の戦場での働きは実に見事と評判であった。現在、彼は325人の兵隊と15両の戦車からなる混成任務部隊を率いており、この部隊はチーム・デソブリーと通称されている〔 *〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィリアム・デソブリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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