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ケンブリッジ公ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge、全名: ウィリアム・アーサー・フィリップ・ルイス(William Arthur Philip Louis、)、1982年6月21日 - )は、イギリス王室成員で、イギリス王太子チャールズの長男。イギリス女王エリザベス2世の孫で、父のチャールズに次ぎ王位継承順位第2位の地位にある。 公式の称号は His Royal Highness Prince William, Duke of Cambridge(ケンブリッジ公ウィリアム王子殿下)、兄弟に2歳年下の弟ヘンリー(ハリー)がおり、両者の生母は1997年8月末に死去したダイアナ妃である。 姓はマウントバッテン=ウィンザー(Mountbatten-Windsor)とされるが、法的にはウィンザー(Windsor)であるともされる。いずれにせよ、王族であるため通常は姓を称することはない。公式には、自らが爵位を得る前は、(他の有爵者の子と同様に)父の称号(プリンス・オブ・ウェールズ)から、オブ・ウェールズをクリスチャン・ネームに後置して使用していた(HRH Prince William of Wales)が、結婚とともにケンブリッジ公位を得たため、これにより公式には(オブ・ウェールズではなく)ケンブリッジ公と称することとなった(HRH Prince William, Duke of Cambridge)。なお、大学ではウィリアム・ウェールズという名前を使用していた。 == 略歴 == 1982年6月21日に西ロンドン、パディントンの聖メアリ病院で生まれた。父のチャールズはイギリス王太子、母ダイアナは第8代スペンサー伯エドワードの娘である。 ロンドン西部にある保育所や幼稚園に通い、小学校はバークシャーのルドグローブ小学校に通った。ウィリアムは小学校に通学した最初のイギリス王子である。その後、名門パブリックスクールであるイートン校に学び、地理、生物、歴史ではAの成績を取った。卒業後1年間のギャップ・イヤーにはチリでのボランティアを経験している。 大学はスコットランドのセント・アンドルーズ大学に入学し、最初は美術史の専攻を選択したが、途中から地理学に変更した。大学ではウィリアム・ウェールズと名乗っていたほか、セント・アンドルーズの町では目立たない集合住宅に暮らすなどの生活を心がけ、近くのエディンバラの町でもよく見かけられた。また大学在学中は、イギリス王室とマスコミの協定により、取材攻勢から保護された。 2005年6月に大学を卒業した。卒業論文のテーマは「モーリシャス・ロドリゲス島の珊瑚礁」であり、大学院の入学資格もあるとみなされる“Upper Second”ランクの成績をとった。父王太子は“Lower Second”という1つ下のランクの成績での卒業であり、王子の成績はこれまでのイギリス王室の中では最高だった。卒業後短期間であるが、デヴォンシャー公爵領における事務およびロンドンのHSBC銀行の慈善事業部門において研修を行っている。 2014年、ケンブリッジ大学に入学。10週間にわたり、農業経営を学ぶ〔〕。 2015年春より、民間の航空救急会社「East Anglian Air Ambulance」に救急ヘリの副操縦士として就職することが発表された、なお給与は全て慈善団体に寄付される〔royalcentral “Stop pestering Prince William at work” begs East Anglian Air Ambulance Chief Executive 〕。 2015年2月26日、初めて日本を公式訪問した。東京都渋谷区の代官山蔦谷書店、横浜市の英連邦戦死者墓地などを訪問し、福島県や宮城県の東日本大震災の被災者たちと交流している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィリアム (ケンブリッジ公)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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