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ウィリアム・ローレンス・ブラッグ : ミニ英和和英辞書
ウィリアム・ローレンス・ブラッグ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウィリアム・ローレンス・ブラッグ ( リダイレクト:ローレンス・ブラッグ ) : ウィキペディア日本語版
ローレンス・ブラッグ[ちょうおん]


ウィリアム・ローレンス・ブラッグWilliam Lawrence Bragg1890年3月31日 - 1971年7月1日)は、オーストラリア生まれのイギリス物理学者。現代結晶学の創始者のひとり。X線回折を用いて物質の構造を研究した。1915年、父であるヘンリー・ブラッグと共にノーベル物理学賞を受賞。キャヴェンディッシュ研究所所長を務めていた1953年2月、同研究所のジェームズ・ワトソンフランシス・クリックがDNAの構造を解明した。
== 生涯 ==

=== 学生時代まで ===
オーストラリアのアデレードに生まれる。感受性の強い少年で、科学と数学に早くから興味を示した。父はアデレード大学で物理学と数学の教授を務めていたヘンリー・ブラッグ。5歳のときに三輪車で転んで腕を骨折し、父がその直前に知ったヴィルヘルム・レントゲンによるX線の発見を思い出し、検査に用いた。これはオーストラリアにおけるX線の医学的応用の最初の例という。
ブラッグは優秀な学生だった。1904年、14歳でアデレード大学に進学し、数学・化学・物理学を学び、1908年に卒業。同年、父がリーズ大学での教授職を提供され、一家でイングランドに戻った。ブラッグは1909年の秋にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学したが、肺炎を患って病床にいたため試験を受けなかったにも関わらず、数学の奨学金を授与された。当初は数学に才能を発揮していたが、物理学に転向して1911年に首席で卒業。1914年にはトリニティ・カレッジのフェローシップに選ばれた。トリニティ・カレッジのフェローシップは、論文の提出や試問に関わる〔Cambridge physicists www.cambridgephysics.org〕〔See Fred Hoyle's remarks regarding Hutchinson in 1965 ''Galaxies, Nuclei and Quasars'' p38 London:Heinemann and also R J N Phillips 1987 "Some Words from a Former Student" in ''Tribute to Paul Dirac'', p31 Bristol:Adam Hilger〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ローレンス・ブラッグ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 William Lawrence Bragg 」があります。




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