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ウィリアム王戦争(ウィリアムおうせんそう, , 1689年 - 1697年)は、またの名を第二次インディアン戦争という。第一次はフィリップ王戦争、第三次はラル神父戦争、第四次はル・ルートル神父戦争、第五次はジョージ王戦争、そして第六次はフレンチ・インディアン戦争である〔''Writing Early American History''. Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2005; pg. 74.〕〔Herbert Milton Sylvester. Indian Wars of New England: The land of the Abenake. The French occupation. King Philip's war. St. Castin's war 1910. 〕)。大同盟戦争の北アメリカの植民地における戦争であるが、植民地には両国とも遠征軍を派遣できず、それぞれが独自の兵力で対戦した。北アメリカではイギリス国王ウィリアム3世の名を取ってウィリアム王戦争とよばれている〔北米イギリス植民地帝国史 後編 その3 〕。 ヌーベルフランスとアベナキ同盟は、イングランドのアカディアでの勢力拡大を阻止できる実力があった。アカディアの境界はヌーベルフランスにより、メイン南部のケネベック川と定められていた〔William Williamson. ''The history of the state of Maine''. Vol. 2. 1832. p. 27〕〔Griffiths, E. ''From Migrant to Acadian''. McGill-Queen's University Press. 2005. p.61〕〔Campbell, Gary. ''The Road to Canada: The Grand Communications Route from Saint John to Quebec''. Goose Lane Editions and The New Brunswick Heritage Military Project. 2005. p. 21.〕。レイスウェイク条約(ライスワイク条約)では、ヌーベルフランス、ニューイングランド、そしてニューヨークの国境と辺境の入植地は戦前の状態を維持という結論に達した〔2.1: King William's War 〕。しかし、北アメリカでの決着は現地の判断にゆだねられたため〔、その後もまだ戦闘は続いた〔。 ==戦争の発端== 1685年の、プファルツ選帝侯カール2世の死去に伴い、相続をめぐってオーストリア、スペイン、オランダ、スウェーデンなど欧州諸国は、ルイ14世の相続権主張に対抗するためアウクスブルク同盟を結成した。オランダ総督(統領)のウィレム3世が名誉革命後にウィリアム3世として即位したイングランド王国も後にこの同盟に加わった〔。 北アメリカでは、ヌーベルフランスと、1686年にニューイングランド自治領として統一されたイギリス人入植地北部との間に緊張が高まっていた。ニューイングランドとイロコイ連邦は、ヌーベルフランスとアベナキ同盟を相手に戦った、イロコイ族は経済面で重要な毛皮交易を支配しており、1680年からフランスと敵対関係にあった〔The Iroquois restoration: Iroquois diplomacy on the colonial frontier, 1701-1754 By Richard Aquila. University of Nebraska Press. 1997. p. 43〕。イングランドの強い勧めにより、イロコイ族はヌーベルフランスと西方の部族との交易を中断した。ヌーベルフランスはこれへの報復として、ニューヨーク西部のセネカ族を襲った。その見返りに、ニューイングランドはイロコイ族に支援して、ヌーベルフランスのラシーヌを襲撃させた〔Richard Aquila, ''The Iroquois restoration: Iroquois diplomacy on the colonial frontier, 1701-1754'' University of Nebraska Press. 1997. p. 44〕。 ニューイングランドとアカディアの間でも、境界を巡って同じような緊張が走っていた。ヌーベルフランスはこの境界を、メインの南にあるケネベック川であると定めていた〔〔〔。マサチューセッツ(当時は勅諚によりメインも含まれていた)のイングランド人入植者は、アカディアに入植地を拡張する一方で、ヌーベルフランスは、自らの主張を正当化するため、カトリック教会を、メインの3つの最も大きな集落にそれぞれ建てた。ひとつはケネベック川流域(ノリッジウォック)、もうひとつはペノブスコット川流域(ペノブスコット)、そして最後のひとつはセントジョン川の流域(メデュクトゥク)に建てられた〔John Grenier, ''The Far Reaches of Empire''. University of Oklahoma Press, 2008, p. 51, p. 54.〕。他の地はともかく、アカディアの5つのインディアン部族は、フィリップ王戦争を受けてアベナキ同盟を作り、ニューイングランドの拡張を阻止するために、政治や軍事の面でヌーベルフランスと同盟を結んだ〔Wabanaki 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィリアム王戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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