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ウィリー・ヘルナンデス("Willie Hernández")ことギレルモ・ヘルナンデス・ビラヌエバ(Guillermo Hernandez Villanueva , 1954年11月14日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手(救援投手)。左投左打。プエルトリコ出身。 == 人物・来歴 == シカゴ・カブスに入団し、4月9日にメジャー初登板。この年いきなり67試合に登板して8勝7敗4セーブ、防御率3.03の好成績をあげて、まずは中継ぎ投手(セットアッパー)として活躍。 は先発に転向するが、7試合の先発で散々な結果に終わり再び中継ぎに転向。は故障のため12試合の登板に終わるが、に75試合登板と復活し、この時点で最多の10セーブをあげる。 途中にフィラデルフィア・フィリーズに移籍。移籍後は63試合登板で8勝4敗7セーブ、防御率3.29という内容を残した。チームはワールドシリーズ(対ボルチモア・オリオールズ)に進出し、シリーズでも7戦中5試合に登板した。 そしてにデトロイト・タイガースに移籍し、抑え投手(クローザー)として起用され、飛躍的な活躍を見せ、初のオールスター登板も果たす。 それまでの8シーズンで通算27セーブだった投手が見違えるように急成長し、80試合に登板して9勝3敗32セーブ、防御率1.92の大活躍。33のセーブ機会で32セーブをあげる。わずか1回の失敗は、チームが地区優勝を決めた後のいわゆる消化試合でのものだった。この活躍でア・リーグMVP、サイ・ヤング賞に選出された。救援投手のMVP獲得はジム・コンスタンティー、ローリー・フィンガーズ、に次ぐ史上3人目であった(のちにデニス・エカーズリーが4人目となった)。 チームは開幕から40試合で35勝をあげ(メジャー記録)、ぶっちぎりで地区優勝。ア・リーグチャンピオンシップシリーズ(当時は3回戦制)でもカンザスシティ・ロイヤルズに3連勝し、ワールドシリーズでもサンディエゴ・パドレスを4勝1敗で下し、ワールドチャンピオンに輝いた。 翌も8勝31セーブ、も8勝24セーブをあげて、ここまで3年連続でオールスター出場を果たす。1986年秋には日米野球に(メジャーリーグオールスターの一員として)出場。しかし活躍もここまでで、は8セーブに終わる。 には登録名を「ギレルモ・ヘルナンデス(Guillermo Hernandez)」に変更して心機一転を図るが以前のような好成績はあげられず、8月18日にタイガースを解雇され、そのまま現役を引退した。その後にはトロント・ブルージェイズ傘下のAAA級シラキュースで現役復帰に挑み、1994年から1995年のMLBストライキの際には40歳にして代替選手として1995年のスプリングトレーニングやオープン戦に参加し、シーズン開幕後はニューヨーク・ヤンキース傘下のAAA級コロンバスでプレーしたがメジャー昇格は果たせなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィリー・ヘルナンデス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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