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ウィルソン桟橋の戦い(ウィルソンさんばしのたたかい、、またはポカホンタス砦の戦い、)は、南北戦争の4年目に入った1864年5月24日、北軍ユリシーズ・グラント中将のオーバーランド方面作戦の中で、南軍ロバート・E・リー将軍の北バージニア軍と対抗した戦闘である〔この戦闘はバミューダ・ハンドレッド方面作戦の一部に分類することも可能である。サーモンの pp. 325-28、ロバートソンの p. 231 がその意見である。国立公園局の方面作戦分類 とフォードン・レイ (Rhea, pp. 362-67) はオーバーランド方面作戦に含めている〕。 南軍フィッツヒュー・リー少将の騎兵師団(約2,500名)が、バージニア州チャールズシティの東、ジェームズ川沿いのウィルソン桟橋にあった北軍の補給所を攻撃した。しかし、そこに砦を建設中だったエドワード・A・ワイルド准将の指揮する、アメリカ合衆国有色人部隊のアフリカ系アメリカ人2個連隊(約1,100名)に撃退されることになった。砦は後にポカホンタス砦と命名された。この戦闘はロバート・E・リーの北バージニア軍がアフリカアメリカ人の部隊と初めて対戦した戦闘となった。 == 背景 == ワイルドは医師、かつ熱心な奴隷制度廃止運動家であり、1862年のサウス山の戦いで左腕を失っていた。その傷から快復したワイルドは、ワイルドのアフリカ人旅団と呼ばれる元奴隷の部隊を立ち上げた。1863年から1864年の冬、ワイルドはノースカロライナ州の海岸にこの部隊を率いて遠征を行い、18世紀初期以来アフリカ人奴隷に慣れてきていた土地の白人を恐れさせた〔Rhea, p. 362.〕。 ワイルドの旅団は1864年5月にバージニア州で上陸し、ベンジャミン・フランクリン・バトラー少将の指揮したバミューダ・ハンドレッド方面作戦のために、供給線を守る一連の前進基地として、ウィルソン桟橋の所に砦の建設を始めた。この桟橋はジェームズ川の戦略的な屈曲部にあり、高い崖の下にあり、元アメリカ合衆国大統領だったジョン・タイラーの家があるシャーウッドの森からは2マイル (3 km) にあった。この時までにワイルドの部隊は南部人の間に怖がらせる評判を得ていた。ワイルドのその後の行動は南部人全体にさらなる警告を与えていた。その兵士達は解放され徴募された奴隷であり、その奴隷に厳しくあたっていたという評判のあるプランテーション所有者をある場合には笞で打ったこともあった。リッチモンドの新聞はこれらの行動を非難し、ジェファーソン・デイヴィス大統領の政府に対してはワイルドの破壊行為を止めさせるよう激しい圧力を掛けていた〔Rhea, p. 362; Salmon, pp. 325-26.〕。 デイヴィスの軍事補佐官ブラクストン・ブラッグ将軍は政治的な圧力に屈し、フィッツヒュー・リーの騎兵師団に「この巣を破壊し、その文明化されていないやり方を止めさせる」という命令を出した。リーの叔父であるロバート・E・リーがユリシーズ・グラントとノースアンナの戦い(5月23日-26日)を戦っている間、フィッツヒュー・リーは騎兵3個旅団の1部とサウスカロライナ第5騎兵連隊(約2,500名と大砲1門)を率い、アトリーのステーションから40マイル (64 km) 行軍し、ウィルソン桟橋に到着した。南軍の将軍は野次馬のような戦闘を予測していたが、ポカホンタス砦の守備隊は戦闘を予測して準備が出来ていることが分かった〔Rhea, pp. 363-64; Salmon, p. 326.〕。 ワイルドは1,100名の兵士と大砲2門を指揮していた。北軍はアメリカ合衆国第1有色人部隊と同第10部隊の4個中隊からできていた。守備側でニューヨーク第1砲兵隊M大隊が唯一の全て白人よりなる部隊だった。砲艦のUSS''ドーン''がジェームズ川におり、砦の守備隊を支援する砲撃を行うことができた。砦は北向きの三日月形をしており、長さは約0.8マイル (1.3 km)、桟橋に向かう道路に跨っていた。西の端は崖に、東の端はケノン・クリークの支流に当たっており、側面からの攻撃はできなかった。前面は深く広い壕と逆茂木で保護されていた〔Rhea, p. 364; Salmon, p. 326.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィルソン桟橋の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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