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ウィルフレド・ゴメス(Wilfredo Gomez、男性、1956年10月29日 - )は、プエルトリコ出身の元プロボクサー。ジュニアフェザー級、フェザー級、ジュニアライト級で3階級制覇を成し遂げた。史上最高のハードパンチャーの一人として知られ、世界戦17連続KO防衛の記録はいまだ破られていない。全盛期のゴメスのパンチは「バズーカ砲」という異名をとり、強打を連打するというスタイルで、約6年半にわたって31戦連続KO勝利という、軽量級ボクサーとは思えない戦績も残している。 == 来歴 == 15歳でミュンヘンオリンピックに出場も、1回戦で敗退。 1974年、第1回アマチュア世界選手権に出場し、全試合KO勝利で優勝を成し遂げる。同年、プロデビューを果たすも引き分けで勝利はならなかった。 1977年5月21日、WBC世界ジュニアフェザー級王者廉東均(韓国)に12回TKO勝ちし、王座を獲得した。以降この王座を17度連続防衛し、全てKO勝利という記録を残した。17連続防衛はスーパーバンタム級の最多連続防衛記録であり、17連続KO防衛というのは連続KO防衛の世界記録である。 1978年1月19日、福岡県・北九州市立総合体育館でロイヤル小林と対戦。3回KO勝ちで2度目の防衛に成功した。 1978年10月28日、43戦全勝(42KO)無敗のWBC世界バンタム級王者カルロス・サラテ(メキシコ)に5回KO勝ちで「史上最高のKOキング対決」を制すると共に6度目の防衛に成功(当時のゴメスの戦績は26戦25勝(25KO)1分)。 1981年8月21日、13度目の防衛に成功後、タイトルを保持したまま1階級上のWBC世界フェザー級王者サルバドル・サンチェス(メキシコ)とタイトルマッチを行うも、8回KO負けを喫し初黒星となった。 1982年12月3日、ルペ・ピントール(メキシコ)に14回KO勝ちし17度目の防衛に成功した。 1983年5月、WBCジュニアフェザー級王座を返上した。 1984年3月31日、WBC世界フェザー級王者ファン・ラポルテ(米国)に挑戦し、判定勝ち。2階級制覇に成功した。ゴメスにとってこれが初の判定勝ちであった。 1984年12月8日、初防衛戦でアズマー・ネルソン(ガーナ)に11回KO負けし、王座から陥落した。 1985年5月19日、さらに1階級上げ、WBA世界ジュニアライト級王者ロッキー・ロックリッジに挑戦し、判定勝ち。3階級制覇に成功した。 1986年5月24日、初防衛戦でアルフレド・ライネ(パナマ)に9回TKO負けし、王座から陥落した。1度目の引退を表明する。 1988年7月30日、2年ぶりに引退からの復帰戦を行い6回TKO勝利で飾る。 1989年、現役引退。ベネズエラへ移住するが麻薬で刑務所へ収監される。 引退後は破産し、コカイン使用や家庭内暴力で度々逮捕されている。 1997年12月、プエルトリコでゴメスが車内でコカインを使用していたのを警官が見つけ逮捕される、車内からコカインが6袋発見された。 2013年3月、プエルトリコで肺炎から呼吸不全となり重態に陥る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウイルフレド・ゴメス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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