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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ウィンフィールド・ニブロ(Winfield P. Niblo 1912年 - 2007年3月8日)は、20世紀半ばのアメリカの教育者、軍属。 ==生涯== コロラド州デンバー出身。高校教師を経て、第二次世界大戦後に連合国最高司令官総司令部(GHQ)の民間情報教育官として来日、教育制度改革を指導。学制改革時に男女別学であったそれまでの旧制中学校・高等女学校を高等学校に改組する過程で男女共学化を強く推進した。 長崎軍政府教育官として赴任(1946年6月-1948年10月)中には長崎県長崎市と佐世保市内の公立の旧制中学校と高等女学校をそれぞれ全く再編させ、長崎西高校・長崎東高校・佐世保北高校・佐世保南高校の各公立高等学校を共学で発足させた。長崎県内では最終的に公立普通科高校は全て共学に移行された。 また、長崎赴任中の1946年秋、県幹部との会食中の余興をきっかけとして現地にフォークダンス(厳密には米国発祥のスクウェアダンス)を伝え、「日本のフォークダンスの父」とも称された。男女が手を取って一緒に踊るフォークダンスの普及を通じて、民主主義教育と男女平等の理念を広めることを狙いとしたものであったとされる。この他、長崎県下各地でソフトボール(スローピッチ)を教え普及に務めている。 1951年に帰米。2007年3月8日、デンバーの自宅で死去(94歳)。 長崎県佐世保市のハウステンボスでは、毎年4月にニブロの名を冠した「ウインフィールド・P・ニブロ記念 佐世保・ハウステンボス フォークダンスフェスティバル」が開かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィンフィールド・ニブロ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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