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ウィンブルドン号事件(ウィンブルドンごうじけん、フランス語:Affaire du vapeur Wimbledon、英語:Case of the S.S. Wimbledon)は、フランスが傭船したイギリス船籍のウィンブルドン号がドイツ領内のキール運河を航行しようとしたところ1921年3月21日にドイツがこれを拒否したことを巡って、イギリス、イタリア、日本、フランスが共同原告となってドイツを常設国際司法裁判所(PCIJ)に提訴した、国際紛争である〔東(2001)、40頁。〕。PCIJは航行拒否が違法なものであったとして1923年8月17日にドイツに対し損害賠償を命じる判決を下している〔。 == 経緯 == キール運河は1895年に完成したバルト海と北海を結ぶドイツの人工の水路である〔杉原(2008)、177頁。〕。第一次世界大戦後の1919年、ドイツは連合国とヴェルサイユ条約を締結し、キール運河の航行について同条約は以下のように定めた〔。 本件紛争が発生した当時はまだポーランドとソビエトはポーランド・ソビエト戦争の講和条約に署名したばかりで、休戦状態であった〔。そうした国際情勢の中でドイツは1920年7月25日および30日に国内法令としてポーランドとソビエト連邦に対する戦時禁制品の輸送を禁じる中立令を制定した〔〔筒井(2002)、15頁。〕。 フランスが傭船したイギリス船籍のウィンブルドン号は、ギリシャのサロニカにて武器弾薬4200トンを積みこみグダニスクにあったポーランドの海軍基地に向かっていた〔。1921年3月21日、このウィンブルドン号はキール運河を通航するため運河入り口に到着したが、運河の通航管理者は前記中立令とドイツ政府の指示を根拠にウィンブルドン号の通航を拒否した〔糟谷(2009)、70頁。〕。フランス政府はドイツに抗議し通航許可を求めたが、ドイツは中立令によりポーランド軍に宛てた武器弾薬を積む船舶の通航を許可できないと回答した〔。結局ウィンブルドン号はキール運河の通航をあきらめて航路を変更し、予定より13日遅れた1921年4月6日に目的地に到着した〔。 その後主要連合国であったイギリス、イタリア、日本、フランスの4カ国は本件に関してドイツと外交交渉を行ったが、交渉は不調に終わった〔。そのため1923年1月26日、これら4カ国は共同原告となりドイツを常設国際司法裁判所(PCIJ)に提訴した〔。1923年5月22日にはポーランドが本件訴訟への参加請求を行い〔''CPJI série A'' No 1, pp.9-10.〕、同国の参加が認められた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウィンブルドン号事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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