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ウイスキー(〔イギリス英語発音:〕、愛/〔アメリカ英語発音:、〕)は、蒸留酒の一つで、大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物を麦芽の酵素で糖化し、これを発酵させ蒸留したものである。 日本語ではウィスキーとも表記されるほか、商品名においてはウヰスキーまたはウ井スキーも用いられる。なお、酒税法上の表記は「ウイスキー」であり(酒税法3条5号ハ)、国税庁も「ウイスキー」の表記を用いている〔(国税庁)〕。 なおスコッチ・ウイスキーは whisky、アイリッシュ・ウイスキーは whiskey と表記される〔坂口 謹一郎 『世界の酒』 p.175 岩波書店 1957年1月17日発行〕。 == 名称の起源 == 「ウイスキー」の名称は、ラテン語のaqua vitae(アクア・ヴィテ、「命の水」の意)に由来する。このaqua vitaeは元々はぶどう酒を蒸留したもので、今でいうブランデーのことである。aqua vitaeは1300年代にジェノア等イタリアの貿易都市から外交官・貿易業者・各国からイタリアに留学した修道士や学生たちの手によりヨーロッパ各地に広まった。直後の15世紀初頭にはaqua vitaeの製法そのものも各地に広まるようになり、ブドウだけでなく各地で手に入る材料(果物、大麦、小麦、ライ麦、のちの時代にはジャガイモなど)を用いて製造されるようになった。当時aqua vitaeは嗜好飲料ではなく薬品の扱いであった(ロシアでは1430年ごろからこれを医薬品でなく嗜好品として飲む習慣が広まった)。スコットランドやアイルランドではaqua vitaeをゲール語に逐語翻訳した uisce beatha(、「命の水」の意)の「水」の部分uisce(ウィシュケ)が訛って「ウィスキー」となった。 また、こういった説もある。伝説では420年ごろ、聖パトリックが近東まで旅した時に錬金術とともに蒸留器を持ち帰ったという。その伝説と関係あるかどうかは不明だが、11世紀にはアイルランドの修道院でセルヴォワーズを蒸留した酒が作られていた。この酒は聖水という意味の「ウシュクベーハ」と呼ばれていた。スコットランドではuisge beatha、アイルランドではuisce beathaとなる。1170年にヘンリー2世がエールに侵攻した時、修道院を接収したイングランド兵が酒の入った小樽を発見し、仲間のもとに矢のように飛んで(to wisk)帰り、喜びを分かち合い、Whiskeyとして世に広まる事となった。なお、アイリッシュウイスキーはその蒸留器が1276年の税務管理の認可記録簿にウイスキー史上最古の文書記録として残っている。 なおブランデーはフランス語では今でも(オードヴィー、「命の水」の意)である。ポーランドではaqua vitae(アクア・ヴィテ)は当初は外来語としてそのままoko-wita(オコ・ヴィタ)と訛って呼ばれていたが、スコットランドやアイルランドの場合と同じように、ポーランド語への逐語翻訳であるwoda życia(ヴォダ・ジチャ、「命の水」の意)の「水」の部分wodaを指小形としてwódka(ヴトゥカすなわちウォッカ、「(ちっちゃな)水ちゃん」の意)とし、これが現代まで定着した。ロシアでもモスクワ大公国において大公ドミートリー・ドンスコイの治世である1386年にジェノアの大使によってaqua vitaeがもたらされた(製法はこれよりかなり後になって伝わった)が、しばらく「蒸留酒」の意味の(スピルト)の名称が一般的であった。しかしいつしか(ヴォトカ、すなわちウォッカ)という名称がこれに取って代わり、ロシアではウォッカが蒸留酒一般を指す語となった。スカンジナヴィアではaqua vitaeは外来語としてakvavit(アクファヴィト)と訛り、これが後にaquavit(アクアヴィット)に転じ現代まで定着した。この各国それぞれの「命の水」は各地で医薬品から嗜好飲料となり、現代まで愛されるようになった。現代ではウィスキーも含めこれらはみな別々のアルコール飲料と認識されているが、このように元来は同じものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウイスキー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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