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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ウイニングカラーズ (') とはアメリカ合衆国の競走馬・繁殖牝馬である。牝馬ながら1988年のケンタッキーダービーに優勝した。ジャパンカップなどを勝利しているタップダンスシチーは甥にあたる。) とはアメリカ合衆国の競走馬・繁殖牝馬である。牝馬ながら1988年のケンタッキーダービーに優勝した。ジャパンカップなどを勝利しているタップダンスシチーは甥にあたる。 == 競走馬時代 == 1歳時、キーンランドジュライセールにてウエイン・ルーカスに見出され、575,000ドルで落札された。 2歳となった1987年8月、アメリカのサラトガ競馬場でデビュー戦を飾ると、年末の一般戦を勝利して2戦2勝で終えた。 年が明けて3歳時は2戦目のラスヴァージネスステークス(米G1)こそグッバイヘイロー(Goodbye Halo)の2着に敗れたものの、次のサンタアニタオークス(米G1)を圧勝し、牡馬相手のサンタアニタダービー(米G1)も7馬身差で圧勝したため、アメリカ牡馬三冠のケンタッキーダービー(米G1)に挑戦。フォーティナイナー(Forty Niner)の追撃を振り切って優勝した。ケンタッキーダービーの牝馬による優勝は1980年のジェニュインリスク(Genuine Risk)以来8年振り3頭目で、以後現在まで牝馬による優勝は遠ざかっている。 三冠2戦目のプリークネスステークス、最終戦のベルモントステークスはともにリズンスター(Risen Star)の3着、6着に終わった。 秋は牝馬戦線に戻り、マスケットステークスに出走する。ここで1歳年上の無敗馬パーソナルエンスン(Personal Ensign)に敗れ、2着となる。次のスピンスターステークス(米G1)はパーソナルエンスンが不出走だったものの4着に終わり、ブリーダーズカップ・ディスタフ(米G1)を迎えた。レースはウイニングカラーズが先行し、パーソナルエンスンに数馬身の差を付けて最後の直線に入った。直線ではグッバイヘイローと競り合っていたが、後方からパーソナルエンスンが追い込みを見せ、ゴール直前で同馬にハナ差交わされて2着に終わった。パーソナルエンスンは結局13戦全勝で引退、アタマ差の3着にはグッバイヘイローが入った。この競走はブリーダーズカップ史上に残る名勝負とも言われる。この年はエクリプス賞最優秀3歳牝馬に選ばれた。 4歳時は2勝に止まり、11月のブリーダーズカップディスタフ9着を最後に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウイニングカラーズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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