|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 高 : [たか] 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money ・ 崎 : [みさき] (n) cape (on coast)
高崎競馬場(たかさきけいばじょう)とは、群馬県高崎市で1924年(大正13年)から2004年(平成16年)まで開催されていた地方競馬の競馬場である。 本項では地方競馬の場外勝馬投票券発売所であるBAOO高崎(バオーたかさき)と、過去に運営されていた日本中央競馬会のウインズ高崎についても記述する。 == 概要 == 1924年(大正13年)開設〔、面積は約10ヘクタールあり、1948年(昭和23年)以前に民間が行っていた競馬場を、競馬法施行と同時期に公営競馬(地方競馬)として群馬県を中心として強制的に運営することになり、群馬県とその関係機関が相続にかかった地権者から購入しようとしたため、土地の所有権については現在も複雑な利権関係になっている〔当時の競馬場は、国土地理院ホームページ「地図・空中写真閲覧サービス」の空中写真USA-R1847-A-27 で確認できる。地方競馬開始に当たって、3、4コーナーを拡張したようである。〕。開催廃止時には群馬県と高崎市が設置した一部事務組合である群馬県競馬組合が主催していた。 また厩舎などは競馬場に併設していたが、「足利競馬と連携を取る」という名目で当時の群馬県議会議員によって現在の伊勢崎市に造成された境町トレーニングセンターへ移動され、その後敷地内に場外売場の境町場外も設置された。 コースはダートのみで、1周1200メートルの右回りで直線走路は300メートル〔。D-Net加盟であった。 宇都宮競馬場、足利競馬場(2003年(平成15年)3月廃止)とともに「北関東Hot競馬」の名称で人馬の交流レースや北関東グレードの制定など、幅広い提携を行っていた。また個人協賛競走の先駆けとなる「企業・団体協賛競走」を実施。のちに個人も対象に加えた。個人の場合1万円、法人・団体が参加する場合3万円を支払い、それ相当の商品を優勝馬の関係者に贈呈することが条件だった。 近年の累積赤字経営が響き、売り上げ好転の見込みがないとして2004年(平成16年)限りでの廃止が表明された。これに対しライブドアの堀江貴文前社長が2005年(平成17年)1月より競馬法が改正され、馬券発売などの民間委託が可能になることを受けて高崎競馬への参入を検討していたが、県との話し合いが付かず、2004年(平成16年)12月31日の開催を以て廃止されることになり、最終的に60数億円の負債を抱え競馬場の歴史に幕を下ろすことになる。 開催最終日には最後の競走に高崎大賞典を含めた12競走を実施する予定になっていた。しかし積雪の影響から第8競走終了後に高崎大賞典を含む残りの競走を中止することが決定。代替開催も行わないことから、この第8競走が81年の歴史にピリオドを打つ競走となった。 廃止後はメインスタンドが場外馬券売場施設となったが、他の施設もほとんど取り壊されず残存しており、かつての本馬場は一部が駐車場となり、馬場内の敷地は「高崎競馬場運動公園」として昼間開放され自由に出入りできる広場として活用されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「高崎競馬場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|