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ウェイド・ロードン : ミニ英和和英辞書
ウェイド・ロードン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウェイド・ロードン : ウィキペディア日本語版
ウェイド・ロードン[ちょうおん]

ウェイド・ロードンWade Lee Rowdon, 1960年9月7日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手内野手)。メジャーリーグ3球団の他、広島東洋カープでプレーした。
== 来歴・人物 ==
ニューヨーク州リバーヘッドで生まれ、フロリダ州マイアミのパルメト高を経てステッソン大学に進む。のドラフト8巡目でシカゴ・ホワイトソックスに指名された。9月7日ジム・カーンとのトレード要員としてシンシナティ・レッズに移籍する。9月4日にはメジャーリーグで初出場を果たした。以後は3Aとメジャーを行き来し、三塁手の他に外野手遊撃手もこなしている。
2月17日ガイ・ホフマンとのトレードでシカゴ・カブスに移籍し、さらに翌3月29日にはマイナー選手2名とのトレードでボルチモア・オリオールズに移った。メジャー定着はかなわず同年6月19日の試合がMLB最後の出場となったが、レッズにいた頃から日本球界への誘いを受けており、常時出場できる場を求めた事もありに広島東洋カープに入団〔週刊ベースボール、1989年8月14日号、P.24〕。当時の広島はランディ・ジョンソンが退団して三塁手を探しており、広岡達朗の推薦があったという。
来日時は守備への評価が高く、打撃面でもマイナー通算打率.280、本塁打101本を記録していた〔Baseball Reference マイナー成績 〕。しかし細身で非力に見える事やキャンプ中にフェンスオーバーの打球が少なかった事から、オープン戦までは打撃を酷評された〔週刊ベースボール、1989年8月14日号、P.24〕。シーズンに入ると4月だけで打率.338、7本塁打、18打点〔週刊ベースボール、1989年6月5日号、P.33〕と一気にペースを挙げて懐疑的な評価を覆し、主に3番・三塁手として活躍。同年は打率.300、22本塁打と主軸の役割を果たし、守備面でも14失策ゴールデングラブ賞を獲得した。
しかし2年目のは4月だけで7失策を記録するなど攻守ともに不調に陥り、安定した成績を残せずシーズン終了後に退団した。
眼鏡をかけた風貌から、カープでは「銀行員」、「クラーク・ケント」などと呼ばれた〔週刊ベースボール、1989年8月14日号、P.27〕。また広島時代にはヘルメットに「+ CoL, 3:23」(コロサイの信徒への手紙3章23節)という文字を記す〔週刊ベースボール、1989年8月14日号、P.26〕など敬虔なクリスチャンとして知られ、引退後はモルドバで野球を通じた布教活動などに携わっている〔モルドバ Youth Camp 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウェイド・ロードン」の詳細全文を読む




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