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ウェイン砦包囲戦(ウェインとりでほういせん、)は、米英戦争初期の1812年9月5日から12日に起きた戦闘である。前月にデトロイト砦を落としたイギリス軍と同盟するマイアミ族およびポタワトミ族アメリカ・インディアンの部隊が、アメリカ軍の駐屯するウェイン砦を包囲した。ウィリアム・ハリソン将軍が指揮する救援軍が到着したことで、インディアンは包囲を解いた。その後はアメリカ軍による懲罰遠征により、マイアミ族の集落の多くが破壊された。 == 背景 == 北西部フロンティアのインディアン部族はティッペカヌーの戦いで厳しい敗北を喫した1811年以降、そこにアメリカ人が居ることを苦々しく思うようになっていた。米英戦争が始まって間もない1812年8月にイギリス・インディアン連合軍がディアボーン砦の戦いに勝利し、デトロイト砦を占領したことで、勇気づけられたインディアンはアメリカ軍の小さな前進基地に対する攻撃を引き受け始めた。 インディアナ準州北東部にあったウェイン砦(現在のインディアナ州フォートウェイン)は1812年に向かうに従って絶望的な状況に陥っていた〔Allison, 200〕。このフロンティアの前進基地は繁華なインディアンの町近くに駐屯したので、守備兵は反抗的であることが多く、ジェイムズ・レイ大尉は多くの建物が荒廃するままにしていた。砦の壁はかつて砲弾にも耐える強いものだったが、保守されていなかった。砦の中には良い井戸があったが、食料は9月までに底を突きかけていた。 守備隊はまず、8月26日にディアボーン砦のジョーダン伍長が虐殺を免れて来たときに、砦が落ちたことを知った〔Poinsatte, 61-63〕。8月28日、ウェイン砦の交易代理人補であるスティーブン・ジョンストンが、砦から1マイル (1.6 km) 離れた所で殺されていた〔Allison, 201〕。その報せが警鐘となり、さらにオハイオ州ピクアのジョン・ジョンストンがショーニー族のキャプテン・ローガンを派遣して砦の女性と子供を比較的安全なオハイオまで脱出させるよう伝えてきた〔Poinsatte, 63〕。 1812年9月、ウィナマック酋長の率いるポタワトミ族とマイアミ族がウェイン砦周辺に集まった。ジェイムズ・レイ大尉はジョン・ジョンストンとオハイオ州知事のリターン・メグズに救援を求める手紙を送った〔。砦の外でのインディアンによる脅威が大きくなったことで、レイは大酒を飲むようになった。レイは何度かインディアンの代表を砦の内に招いて、インディアンとの和平の条件を交渉した(その大半は自分自身の安全確保だった)〔Edmunds, 189-90〕。 9月4日、ポタワトミ族酋長ウィナマックとファイブメダルズが休戦の旗を持って砦に近付き、レイ大尉との会見を求めた。この時酔っていたレイは門のところで彼等に会い、会見は和平のためか戦争のためかを尋ねた。ウィナマックは、「何と言っていいか分からないが、マキナック砦が落ちて、デトロイトはイギリス軍の手に入り、ディアボーン砦も取られたことを貴方は知っている。次ぎは(ここも)数日中に落ちることを予測すべきだ」と答えた〔Allison, 202〕。レイはウィナマックを作戦本部に招き入れ、ワインを飲み交わした。レイはウィナマックに友人であると宣言し、翌朝朝食に来てくれるよう招待した。しかし、ウィナマックはその見せかけの友情を臆病さだと解釈し、戦闘に備えた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウェイン砦包囲戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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