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ウェンディ・ターンブル : ミニ英和和英辞書
ウェンディ・ターンブル[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

ウェンディ・ターンブル : ウィキペディア日本語版
ウェンディ・ターンブル[ぶる]

ウェンディ・ターンブルWendy Turnbull, 1952年11月26日 - )は、オーストラリアブリスベン出身の元女子プロテニス選手。主に1970年代後半から1980年代に活躍した選手で、素速いフットワークから“Rabbit”(ラビット)というニックネームで呼ばれた。しかし4大大会の女子シングルスで3度の準優勝に終わり、1977年全米オープン1979年全仏オープン1980年全豪オープンの決勝戦で敗れた。WTAツアーでシングルス13勝、ダブルス55勝を挙げた。
ターンブルは15歳で学校をやめ、4年間の銀行勤務を経てテニス選手になった。1975年にプロ入り。1976年日本の「ジャパン・オープン」で優勝している。最初のチャンスは1977年全米オープンで訪れ、ターンブルは準々決勝で当年度のウィンブルドン優勝者バージニア・ウェード(第3シード、イギリス)、準決勝で第2シードのマルチナ・ナブラチロワを連破して初めての4大大会決勝に進んだが、第1シードのクリス・エバートに 6-7, 2-6 で敗れて準優勝になった。全米オープンでは、翌1978年も準決勝でエバートに敗れる。2度目のチャンスとなった1979年全仏オープンでも、決勝戦で同じエバートの壁にぶつかり、2-6, 0-6 の完敗で2度目の準優勝になっている。
1980年のシーズンは全体的に好調で、全仏オープンウィンブルドンでともにベスト8進出を果たした後に、年末開催の全豪オープンで3度目の4大大会決勝進出を決めた。(注:当時は全豪オープンの開催時期が何度も変わり、1977年1月開催12月開催と2度行われたのちに、1978年-1985年までは12月の年末開催で行われていた。)ターンブルは準決勝で第1シードのマルチナ・ナブラチロワを破ったが、決勝で当時18歳の新鋭ハナ・マンドリコワに 0-6, 5-7 で敗れ、またしても優勝のチャンスを逃した。その後は全豪オープン1981年1984年全米オープン1984年に準決勝進出がある。シングルスでは1989年ウィンブルドンの2回戦敗退が最後の試合になった。
ウェンディ・ターンブルはダブルスの名手として、女子テニスツアーで通算55勝を記録した。4大大会でも女子ダブルスは4勝、混合ダブルスは5勝を挙げている。1978年ウィンブルドンで、ターンブルは同じオーストラリアケリー・レイドとペアを組み、ミマ・ヤウソベッツユーゴスラビア)&バージニア・ルジッチルーマニア)組を 4-6, 9-8, 6-3で破って初優勝を飾った。1979年オランダベティ・ストーブとペアを組み、全仏オープン全米オープンで年間2冠を獲得する。1982年には全米オープンの女子ダブルスで、ベテランのロージー・カザルスと組んで3年ぶり2度目の優勝を果たした。1988年ソウル五輪では、オーストラリア代表選手として女子ダブルスに出場し、エリザベス・スマイリーと組んで銅メダルを獲得している。混合ダブルスでは、ターンブルはジョン・ロイドクリス・エバートの元夫として有名な人)と相性が良く、1982年から1984年までウィンブルドンの混合ダブルス決勝に3年連続で進出した。ターンブルは1989年夏にシングルスから引退した後も、ダブルスでは1990年まで現役を続行した。
ターンブルは現役生活を通じて、クリス・エバートの厚い壁をどうしても破れなかった選手の1人である。2人の対戦成績はエバートの「21勝1敗」で終わった。マルチナ・ナブラチロワとは「5勝29敗」の対戦成績を残している。エバートとナブラチロワの2強豪と同年代に活動した女子プロテニス選手たちにとって、2人の壁を破ることがいかに至難であったか、ターンブルの3度の準優勝はその難しさを物語る1つの記録と言えるだろう。

== 4大大会ダブルス優勝 ==

* 全仏オープン 女子ダブルス:1勝(1979年)/混合ダブルス:2勝(1979年・1982年) [女子ダブルス準優勝1度:1982年]
* ウィンブルドン 女子ダブルス:1勝(1978年)/混合ダブルス:2勝(1983年&1984年) [女子ダブルス準優勝4度:1979年・1980年・1983年・1986年/混合ダブルス準優勝1度:1982年]
* 全米オープン 女子ダブルス:2勝(1979年・1982年)/混合ダブルス:1勝(1980年) [女子ダブルス準優勝4度:1978年・1981年・1984年・1986年]

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウェンディ・ターンブル」の詳細全文を読む




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