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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ウエスタンダンサーとは日本の競走馬、繁殖牝馬である。おもな勝ち鞍は2008年京阪杯。 == 経歴 == 体質の弱さからデビューは遅れ2007年4月の3歳未勝利戦となる。続く2走目で初勝利を記録、同時にこの勝利は同馬を管理する崎山博樹調教師の通算300勝となった。 その後は脚部を考慮されダート短距離戦を中心に使われ続けたが、3歳後半より徐々に芝レースにも出走するようになる。 2008年4歳になり、夏の小倉でレコードにコンマ1秒となるタイムで勝利、秋には人気薄ながら条件特別を連勝するなど本格化の兆しを見せ始める。 昇級初戦となる京洛ステークスでは重賞未勝利ながら上位人気の支持を受け2着と好走、続く京阪杯では早め先頭から好位抜け出し重賞初制覇となる。 2009年5歳になり、デビュー以来初めて1番人気に支持を受けたシルクロードステークスで重賞連覇を目論むも、実質的なトップハンデ56キロに泣き15着と大敗を喫した。迎えた大一番の高松宮記念でも見せ場を作れず12着に終わった。その後、中1週で挑んだ阪神牝馬ステークスでは最後の直線で一旦先頭に並ぶものの後退して7着に敗れた。続く京王杯スプリングカップでは大外枠から先行集団でレースを進めたが、直線で後退して10着に敗れた。続くCBC賞では道中5番手でレースを進めたが、直線で失速してブービーの17着と大敗した。続く函館スプリントステークスでは後方待機策もブービーの15着と大敗した。続くUHB杯では先行集団でレースを進めるも失速し8着に敗れた。続くキーンランドカップでは中団待機も伸び切れず12着と惨敗した。 6歳となった2010年は中京競馬場の改修工事の為京都競馬場で行われたCBC賞から復帰、新人の高倉稜騎手とのコンビで道中先団でレースを進めたが直線で失速し15着に敗れた。 7歳となった2011年は淀短距離ステークスで復帰、道中2番手追走も直線で失速し11着と大敗。続くシルクロードステークスでは14着、千葉ステークスでは15着、阪神牝馬ステークスでは14着に終わった。4月14日付で競走馬登録を抹消して引退。生まれ故郷の北西牧場に戻って繁殖牝馬となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウエスタンダンサー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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