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ウェストバージニア州(、略号WV、)は、アメリカ合衆国東部の州である。アパラチア山脈中に位置しており〔Southeastern Division of the Association of American Geographers 〕〔Charles Reagan Wilson and William Ferris, ''Encyclopedia of Southern Culture'', Univ. of North Carolina Press, 1990.〕〔U.S. Census Bureau 〕〔Thomas R. Ford and Rupert Bayless Vance, ''The Southern Appalachian Region, A Survey'', Univ. of Kentucky Press, 1962〕、山岳州という愛称で知られる。アメリカ合衆国50州の中で、陸地面積では第41位、人口では第38位である。南東はバージニア州、南西はケンタッキー州、北西はオハイオ州、北はペンシルベニア州、北東はメリーランド州と接している。 元々はバージニア州の一部だったが、南北戦争でバージニア州が南部連合に属した際に、西側の奴隷制度に反対する層が分離し、独立して州となった。州として合衆国に加盟したのは1863年6月20日であり、戦中の重要な境界州となった。 州都および最大都市はチャールストンである。メイソン・ディクソン線より南にあるため、アメリカ合衆国統計局はウェストバージニア州を南部に属する州の一つとして扱っている。北部のパンハンドル部はペンシルベニア州やオハイオ州に近接し、州内のホイーリング市やウィアトン市はピッツバーグ大都市圏と州境を跨いだ位置にある。一方ブルーフィールド市はノースカロライナ州から70マイル (110 km) も離れていない。州南西部のハンティントン市は、オハイオ州とケンタッキー州に近く、東部パンハンドル部のマーティンズバーグ市やハーパーズ・フェリー町はワシントン大都市圏に入ると見なされるが、その間にメリーランド州とバージニア州が入っている。このように地理的に特徴ある位置にあるので、大西洋岸中部、アップランドサウス、南東部など幾つかの地域に含まれることも多い。通常は「アパラチア」と呼ばれるアパラチア地域委員会が管轄する地域にその全体が含まれる唯一の州である。 == 歴史 == 州内の特にマウンズビル、サウスチャールストン、ロムニーの町がある地域には、前史時代マウンド建設文化で築かれた人工の土盛りマウンドが残されている。そこから出てきた人工物は村社会があったことを示している。冷間で銅を加工し、部族間の交易を行っていた。 ビーバー戦争の後、イロコイ族インディアンが他部族を追い出し、オハイオ・バレー上流を狩猟場として保持していた。イロコイ族より前にこの地域を占めていた部族としては、オセージ族などスー語族のインディアンであり、戦争を避けるために西に流れてミシシッピ川を越えた。 現在ウェストバージニア州となっている地域は、ヨーロッパ系アメリカ人の中でも領有を争う場となり、アメリカ独立戦争の前にはペンシルベニア州とバージニア州が領有権を主張していた。バンダリア会社〔Charles H. Ambler, "A History of West Virginia" pg. 104〕、後にはオハイオ会社やインディアナ会社のような投機的土地会社幾つかが、ウェストバージニア州やケンタッキー州の土地に対する権利を正当化しようとしたが、失敗した。ペンシルベニア州とバージニア州の州境論争が決着すると、ケンタッキー州の創設に繋がり、ケンタッキー州民は「満足し、...ウェストバージニア州民の多くは感謝していた」と言われている〔Charles H. Ambler. ''A History of West Virginia'', pp. 132–138〕。 ウェストバージニア州は元々イギリス領バージニア植民地(1607年-1776年)の一部であり、バージニア州の西部(1776年-1863年)だった。バージニア州議会において、昔から議員定数の不均衡な配分の結果代表の数に不足があると感じていた地域住民は、アメリカ合衆国からの脱退を論じたときに大きく意見が分かれた。1861年、西部と北部の郡はフランシス・ピアポントの下に別の政府を作り、「復興した」政府と呼んだ。住民の多くがバージニア州からの分離に賛成し、新州は1863年に合衆国加盟を認められた。1864年、憲法制定会議が州憲法を起草し、住民投票に掛けられることなく、議会が批准した。ウェストバージニア州は奴隷制度を廃止し、アメリカ連合国の役人を務めた者あるいは同国のために戦った者から暫定的に選挙権を剥奪した。 ウェストバージニア州の歴史は、その山がちな地形、広大な川のバレー、豊富な自然資源の影響を大きく受けてきた。これらは全てその経済を推進し、住民の生活様式に影響した要素であり、現在も続いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウェストバージニア州」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 West Virginia 」があります。 スポンサード リンク
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