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ウォルター・ロバートソン : ミニ英和和英辞書
ウォルター・ロバートソン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウォルター・ロバートソン : ウィキペディア日本語版
ウォルター・ロバートソン[ちょうおん]
ウォルター・ロバートソン(Walter S. Robertson, 1893年12月 - 1970年)はアメリカ合衆国の実業家、外交官。1953年から1959年までアイゼンハワー政権の極東担当国務次官補を務めた。
==略歴・人物==

===金融界からの官界参画===
ヴァージニア州出身。陸軍幼年学校とデヴィッドソン・カレッジ(:en:Davidson College)を中退し、金融界に入る。信託会社、証券会社などの重役を経て、リッチモンド証券取引所会長を務めた。この時代は南部民主党員だった。
第二次世界大戦中の1943年より官界に転じ、駐オーストラリア武器貸与監督官に着任する。その後は1945年より国務省経済顧問、同年から1946年まで在中華民国(重慶政府)公使兼経済顧問、後に同代理大使を務めた。この中華民国との接触がロバートソンにとって初めての極東経験となる。
1946年1月、 ジョージ・マーシャル特使の仲介で国共内戦休戦協定が成立したことから、ロバートソンは協定の履行状況を監視する休戦委員会委員長に就任する。しかし同年6月に内戦が再開し、米国政府も調停への意思を放棄するなかで、ロバートソンは国民政府を十分支援しない米極東政策の「弱腰」を批判し辞任する。以後は投資銀行家として金融界に復帰するが、上述の極東政策への不満などから、1952年の大統領選挙では共和党ドワイト・アイゼンハワー候補を支持した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウォルター・ロバートソン」の詳細全文を読む




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