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ウォーリー・ジョイナー(Wallace Keith "Wally" Joyner、1962年6月16日 - )はMLBで活躍した野球選手。内野手(一塁手)。左投左打。アメリカ合衆国・ジョージア州アトランタ出身。ニックネームは「Wonder Wally」または「Wally World」。 == 人物・来歴 == ブリガムヤング大学を卒業し、カリフォルニア・エンゼルスに入団。 からにかけてプエルトリコのウィンターリーグに参加すると、三冠王を獲得。1986年4月8日にメジャーデビューすると、強打を発揮。ルックスの良さも手伝って、たちまちファンの人気者になった。 前半戦で20本塁打をマークし、ルーキーながら監督推薦でオールスター出場を果たし、ホームランダービーではダリル・ストロベリー(メッツ)と同点優勝。その時点では新人王は当確かと思われたが、後半戦は不振でシーズン通算22本塁打に終わり、33本塁打、117打点を記録したホセ・カンセコに新人王を奪われた。しかし打率.290、22本塁打、100打点は立派な成績であり、またチームの地区優勝に貢献した。この年、日米野球でメジャーリーグオールスターの一員としてカンセコらと共に来日。 翌には自己最多の34本塁打、117打点を記録。 以後はホームランバッターというよりは、好打者として活躍。4回の打率3割を記録し、通算打率は.289であった。 にカンザスシティ・ロイヤルズ、にサンディエゴ・パドレスに移籍。には自身初(唯一)のワールドシリーズ出場を果たすが、ニューヨーク・ヤンキースに敗れる。 に生まれ故郷のアトランタ・ブレーブスに移籍するが、一年限りで解雇となり、に古巣エンゼルスに復帰。しかし、打撃不振のため6月中旬に解雇され、そのまま現役を引退した。 守備も巧みであったが、同時期、特に全盛期の1980年代後半にはゴールドグラブ賞を9回受賞したドン・マッティングリーが居たこともあり、ゴールドグラブ賞は獲得できなかった。 引退後、11月に、現役時代の1998年に、当時のチームメイトケン・カミニティと共に、ステロイド剤を入手し、短期間ではあるが使用したことを告白した。 7月31日にパドレスの打撃コーチに就任し、まで務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウォーリー・ジョイナー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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