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ウォーレン・クロマティー : ミニ英和和英辞書
ウォーレン・クロマティー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウォーレン・クロマティー ( リダイレクト:ウォーレン・クロマティ ) : ウィキペディア日本語版
ウォーレン・クロマティ[ちょうおん]

ウォーレン・リビングストン・クロマティWarren Livingston Cromartie1953年9月29日 - )は、アメリカフロリダ州出身の元プロ野球選手。左投げ左打ちの外野手一塁手。愛称は「クロウ」。
== 来歴・人物 ==
1972年の第1回日米大学野球選手権大会に出場した。1974年、マイアミ・デイド短大からアメリカ・メジャーリーグモントリオール・エクスポズに入団。4年目頃からレギュラーに定着した。1983年のシーズンオフ時にFAとなって読売ジャイアンツへ移籍。入団1年目からいきなり35本塁打をマークするなど、日本でもレギュラーの一人としてチームを牽引した。1989年には打率3割7分8厘で首位打者、また4割4分9厘で最高出塁率のタイトルを獲得。20勝を挙げたチームメートの斎藤雅樹を抑えてMVPも受賞した。
1989年、4割を打って引退すると宣言。開幕から長打を捨ててヒットを量産し、シーズン規定打席の403打席(当時は130試合制、規定打席数は試合数×3.1)に到達した時点で打率4割を超えていた(この時点で残り試合を休めば4割打者が誕生していたことになる)。最終的な打率は.378まで下がり、4割打者誕生はならなかったが、96試合まで4割を維持したのは広瀬叔功の89試合を抜くプロ野球最長記録であり、.378は巨人の球団歴代最高打率である。
シーズン打率.360以上を2回(1986年、1989年)記録している。これは他にイチロー(1994年、2000年)と落合博満(1985年、1986年)しか達成していない記録である。1986年には打率.363を記録したが、この年は阪神ランディ・バースが日本プロ野球記録である打率.389を記録したため、首位打者を獲得できなかった。シーズン打率が.360以上を記録しながらも、首位打者になれなかったのは、現在までクロマティただ1人である。
1990年は開幕から低調で7月まで.252、5本という成績ながらオールスターにファン投票で選出された。その後、8月以降は136打数53安打で打率.390、9本塁打と打ちまくったものの、この年限りで巨人を退団。直後に「さらばサムライ野球」を出版する。中畑清王貞治監督のことを陰で「ワン公」と呼んでいたなど、暴露本の様相を呈していたため話題となった。1991年はメジャーリーグ(カンザスシティ・ロイヤルズ)に復帰するも1年で退団。
2002年プロ野球マスターズリーグ札幌アンビシャスに加入。2005年には、セミプロ野球ゴールデンベースボールリーグに参加する「ジャパン・サムライ・ベアーズ」初代監督に就任したが、ファンへの暴言や度重なる退場を理由に解雇された。
2007年6月1日プロレスラーとしてデビューすることを、プロレスイベント「ハッスル」を主催するハッスルエンターテインメントが発表。6月17日に「ハッスル・エイド2007」(さいたまスーパーアリーナ)でタイガー・ジェット・シンと対戦し勝利を飾った。この試合ではかつて試合中に殴打した宮下昌己が来場し、クロマティを応援した。
*1988年、「Climb」(クライム)というバンドでドラムを担当、シングル「ガール・ライク・ユー」とアルバム「テイク・ア・チャンス」をリリースしている〔『巨人軍5000勝の記憶』p.66~67 ほか〕。アルバム「テイク・ア・チャンス」にはバックコーラスにカナダのベテランバンド「ラッシュ」のゲディー・リーが参加しているが、ゲディーとは昔から親交が深く、1982年発売のラッシュのアルバム「Signals」の裏ジャケットにはクロマティの名前がある。なお、「テイク・ア・チャンス」にはこの他にもコーラスでフォリナールー・グラム、キーボードで元レインボーのデヴィッド・ローゼンサルがゲスト参加している。
*2005年、不良の集まる「東京都立クロマティ高等学校」を舞台とする映画魁!!クロマティ高校』公開を知り、「パブリシティ権の侵害だ」と主張し、公開中止を求め提訴。字幕でクロマティとは無関係であると表示するという条件で仮処分申請を取り下げた。しかし、名前の使用を許諾していないという理由で今後正式な民事訴訟を起こして争うとしている〔クロマティ差し止め申請取り下げ http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_07/g2005071609.html〕。後に公開差し止め申請を取りやめたが、民事訴訟は取りやめない方針。他に名前を使われているランディ・バースオレステス・デストラーデはクロマティから訴えようと持ちかけられたが断っている。
*現在はスポーツグッズ販売会社に勤務。2012年10月23日放送の『ありえへん∞世界』ではラジオのDJをやっていると紹介された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウォーレン・クロマティ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Warren Cromartie 」があります。




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