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ベネズエラ・ボリバル共和国大統領であったウゴ・チャベスは2013年3月5日、死去した。中南米地域における反米同盟の盟主とも言われたウゴ・チャベスの死は、地域情勢に大きな影響を与えるとされた。 == 死に至る経緯 == チャベスは2011年6月6日にベネズエラを出国し、ブラジルとエクアドルを外遊した後、キューバに到着。この頃には左膝に痛みを訴えており、杖をついた状態で首都ハバナに降り立ったことでフィデル・カストロ前国家評議会議長に病状について質問され、6月10日に現地にて骨盤膿瘍と野球のボール大になっていた癌性腫瘍の緊急摘出手術を受け、その後しばらく首都ハバナで療養を続けた。当初は骨盤膿瘍のみ病状が公表されていたが、実は重病なのではないかという憶測がなされていた。一方で病気ではなく、美容整形手術を受けたのではないか、病気により同情を引くことで2012年10月に予定されている大統領選挙を有利に進めようとしているのではないかという声さえあった。6月28日にはカストロと会話している写真が公表されるなどベネズエラ政府は重病説の払拭に躍起となり、6月30日にはチャベス本人がテレビ演説で自らが癌であったことを公表、回復に向かっていると宣言した。7月4日に帰国したが下旬に再びキューバで手術。化学療法は続けられたため副作用で顔が腫れ、髪が抜け落ち始め、8月1日には丸刈り姿で公式の場に登場した〔。余命2年とも言われる中、10月20日には癌の完治を宣言。12月7日にはチャベス死亡の情報がウイルスが添付されたメールで広まったが、これはほどなくデマであると判明した。 回復をアピールしたチャベスだったが、2012年2月18日にキューバで受けた検査で再び同じ部位で病変が見つかり、2月下旬に再手術を受けたが転移はなかった。4月には死亡説が流れ、閣僚がこれを否定するなど10月の大統領選挙への出馬を不安視する声もあったが、国民の支持は高く、チャベス自身も再選に自信を示した。10月7日の大統領選挙は放射線治療を受けながらなんとか選挙運動を展開し〔、野党統一候補のエンリケ・カプリレス・ラドンスキーを退け4選を果たした。 2012年12月8日、チャベスは癌が再発したことを公表。自らが職務遂行不可能になり大統領選挙の再選挙が実施される場合はニコラス・マドゥロ副大統領に投票して欲しいと表明するなど、自らの後継者指名を行った。12月10日にキューバに到着し、これが公の場に姿を表した最後となった。翌日には通算4度目の手術を受け成功したが、想定外の出血が見られ、呼吸器感染による合併症を起こしたことにより呼吸困難となったことにより、1月10日の大統領就任式はチャベス不在のまま行われた。予定されていた就任宣誓は延期され、結果としてチャベスの4期目の大統領就任宣誓が行われることはなかった。 その後もチャベスの動向は伝えられず、2013年2月15日にようやく術後の写真が公開された。気管チューブを使って呼吸し、会話が困難のため筆談で指示を行なっていると説明された。2月18日にようやくキューバから帰国し、首都カラカスにある軍の病院に入院した。3月4日、チャベスが新たな重度の呼吸器系の感染症にかかり、デリケートな状態になったことが公表された。死去する直前、周囲に「死にたくない」と言おうとしていたと思われることが明らかにされている。 2013年3月5日、チャベスは58歳でその生涯を閉じた。直接の死因は心臓発作であったとも伝えられている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウゴ・チャベスの死と葬儀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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