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ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク : ミニ英和和英辞書
ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク : ウィキペディア日本語版
ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク[ちょうおん]

ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク(Eugène Emmanuel Viollet-le-Duc 1814-1879年)は、19世紀フランス建築家、建築理論家。中世建築の修復、及びゴシック建築の構造合理主義的解釈で知られる。
== 生涯 ==
1814年パリの裕福な家庭に生まれた。知識人を招いたサロンを開いていた母エリザベトや、その兄で美術評論家としてスタンダールプロスペル・メリメらと交流のあった伯父ドレクリューズの存在もあり、幼い時から知的交流のあふれる教養的な家庭環境で育つ。絵画に早くから才能を示したが、フランスの正統的な建築教育機関エコール・デ・ボザールを「建築家を鋳型にはめ込むもの」と批判し、入学を拒否。その後はフランス各地を巡り、中世建築のデッサンなどに励む。また、デッサン学校で教授代理として教鞭を執る。
1836年にはデッサン学校の教え子とイタリアを旅行した。古典建築の傑作を賞賛するも、古典様式をフランスの風土や慣習を考慮せず無批判に再現しようとするボザールの姿勢に改めて疑問を持つようになる。そして改めて、母国では無視されている中世ゴシック建築への敬愛を深めていく。その後、メリメの推薦により古建築の修復に関わるようになり、1840年からのラ・マドレーヌ教会堂の修復を手始めに、パリのサント・シャペルノートルダムアミアン、ルーアンの大聖堂など多くのロマネスクやゴシックの教会堂、城館の修復、復興に携わった。修復の傍ら、その経験を元に『中世建築辞典』(1854-1868年)を著している。1863年にはボザールの教授になるも学生や教授らとの意見の対立により辞任。その後発表した『建築講話』(1862-1872年)において自らの建築理論を展開した。1879年スイスのローザンヌにあった自邸「ラ・ヴェデット」にて死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュク」の詳細全文を読む




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