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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ウズシオタローとは日本のアングロアラブ競走馬である。益田競馬場(廃止)所属であった。 == 概要 == 馬齢は原則として旧表記を用いる。 「タロー」という名前だが牝馬である〔現在はこのように紛らわしい馬名をつけることは禁止されている。〕。当初は園田競馬場に入厩したもののデビューできず、益田競馬場に移籍して4歳となった1977年4月23日に競走馬としてデビュー(3着)。14歳となった1987年10月11日に現役を退くまでの11年間の間、実に250回にわたって競走に出走(15勝)し、同競馬場の誇るアイドル馬として親しまれた。その走破距離は326kmにもおよぶ。最終年は同年にデビューした吉岡牧子がおもに騎乗し、4月27日には4年4か月振りとなる勝利を挙げた〔『地方競馬』1987年6月号、p.46〕。引退レース(吉岡が騎乗し、8頭立ての7着)では「ウズシオタロー引退記念競走」という同馬の名前が冠されたほどであった〔このレースでは、中央競馬のラジオ実況で知られた蜂谷薫(当時・毎日放送アナウンサー)が、『あどりぶランド』(MBSテレビが関西ローカルで放送していた同局アナウンサー総出演の番組)の企画を兼ねて仮設実況席から特別に実況を担当。レース3日後(1987年10月14日)の同番組では、ウズシオタローの通算出走記録にちなんだ「ウズシオタロー二百五十戦」というタイトルで、実況と現地取材の模様が放送された(シンコーミュージックから1987年に刊行された毎日放送編・著『まるのまんま あどりぶランド』に所収の資料「『あどりぶランド』二百回大年表」より)。〕。レース直後に行われた〔『地方競馬』1987年12月号、p.33〕記念式典では、「鉄人」の愛称で知られたプロ野球選手の衣笠祥雄からの祝電が紹介され〔、その中で「うず潮の如く走りし鉄馬かな」という句が贈られている。 出走回数250回は1962年以降の地方競馬の平地競走としては長らく史上最多記録であったが〔これは地方競馬全国協会が競走馬成績書を整備するようになった昭和44年以降の記録であり、参考記録として、中央競馬・地方競馬を合わせた最多は1968年に廃止された繋駕速歩競走におけるビージーキングの271戦、地方競馬の春木競馬場所属であったコガネマルが平地競走と障害競走で476戦、ばんえい競走ではトヨタカの374戦がある。〕、2007年8月11日、高知競馬第4競走に出走したヒカルサザンクロスが251回の最多出走回数をマーク〔高知競馬のヒカルサザンクロスが引退 〕。20年ぶりに記録が更新された。しかし、アングロアラブ競走馬の最多出走記録は現在も保持している。 引退後は千葉県の湘南動物プロダクション(現:市原ぞうの国)で動物タレントとして活動し、また繁殖牝馬としてメジロムサシ産駒のアングロアラブのライトオスカーとの間に1989年に1頭の牝馬を産んだ。その後ファンの女性4人に引き取られ〔『ハロン』1991年8月号、p.64〕北海道へ移動し、1991年から〔は北海道白老郡白老町のイーハトーヴ・オーシァンファームで余生を送っていたが、2007年8月10日に老衰で死亡した。33歳(現表記)だった〔サンスポ.COM 2007年8月19日の記事。〕。唯一の産駒は、かつて在籍していた市原ぞうの国でタレント活動を行いながら、子孫を残している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウズシオタロー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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