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ウラジーミル・ゴヴォロフ : ミニ英和和英辞書
ウラジーミル・ゴヴォロフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウラジーミル・ゴヴォロフ : ウィキペディア日本語版
ウラジーミル・ゴヴォロフ[ちょうおん]

ウラジーミル・レオニードヴィッチ・ゴヴォロフ1924年10月18日 - 2006年8月13日)は、ソ連の軍人。上級大将。ソ連邦英雄。ソ連邦英雄のレオニード・ゴヴォロフソ連邦元帥の息子。''、1924年10月18日 - 2006年8月13日)は、ソ連の軍人。上級大将。ソ連邦英雄。ソ連邦英雄のレオニード・ゴヴォロフソ連邦元帥の息子。
==軍歴==
独ソ戦勃発後、1942年にリャザン砲兵学校促成課程を修了。当初、火器小隊長となり、砲兵中隊長で終戦を迎えた。終戦時、二等祖国戦争勲章を受章した。
戦後、高等将校砲兵学校を卒業し、砲兵大隊長に任命された。1949年、ゴヴォロフ少佐は、M.V.フルンゼ名称軍事アカデミーを卒業し、機械化連隊(カリーニングラード州チェルニャコフスク市)副連隊長に任命され、3年後、連隊長となった。
1956年、師団参謀長に任命。1958年、ゴヴォロフ大佐は、在独ソビエト軍集団の師団(テューリンゲン)参謀長となり、間もなく師団長となった。1963年、ソ連軍参謀本部アカデミーを金メダルで卒業し、第2親衛戦車軍参謀長に任命された。1967年、第2親衛戦車軍司令官。1969年、在独ソビエト軍集団第一副総司令官。1971年、ゴヴォロフ大将は、沿バルト軍管区司令官に任命された。
1972年、モスクワ軍管区司令官に任命され、11月7日、十月革命55周年記念観閲式を指揮した。1977年に上級大将に昇進。1980年12月、ザバイカル軍管区極東軍管区及び太平洋艦隊を管轄する極東軍総司令官に任命され、ベトナムカンボジアラオスモンゴル軍との協力を組織した。在任時、ウラン・ウデ市の名誉市民の称号を授与された。
1984年、国防次官/主任監察官に任命。同年10月17日、彼の60歳の誕生日にあわせて、ソ連邦英雄の称号が授与される。1986年、チェルノブイリ原発事故後、国防次官を兼任したままソ連民間防衛部長に任命された。チェルノブイリ事故の外、アルメニア大地震、アルザマスでの爆発、ウファでの列車事故等、災害・事故が相次ぎ、ゴヴォロフは、民間防衛システムは平時の非常事態を想定すべきとの結論に達し、このことを勧告した。1992年、ゴヴォロフ上級大将は退役した。
ソ連最高会議代議員(1972年、1974年、1979年、1984年)。1989年、ソ連人民代議員。ソ連共産党第26回と第27回大会において、中央委員会委員に選出。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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