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ウラッコ(''Urraco'' )は、1970年代にイタリアの自動車メーカー、ランボルギーニが開発・製造したスポーツカーである。 == 概要 == フェルッチオ・ランボルギーニはポルシェ・911の「2+2」スポーツカー市場への投入を狙って、ランボルギーニのエンジニア、パオロ・スタンツァーニに車体設計を命じた〔スーパーカーグラフ - ランボルギーニ・ウラッコ (モーターマガジン社)〕。エクステリアデザインは、ベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニが担当した。 エンジンはV型8気筒で、クランク軸上にギアボックスを配し、ディファレンシャルを間に挟み込んだジアコーサ・レイアウト。細長く収めて横置きとし、+2座のスペースを確保しつつホイールベースを2450mmと短く収めた。 シャシは圧延鋼板を溶接したファブリケート構造で、鋼板製ボディにも応力を持たせるセミモノコックである。 インテリアでは、室内幅のほぼ1/2にもなる横長のメーターパネルの中央にウォーニングランプ群、それを挟んで各種補機メータを左右それぞれ3個、最両端にタコメータ(左端)とスピードメータ(右端)とを一列に配置するという前衛さが特徴。 1970年に行われたトリノ・オートショー(''Turin Auto Show'' )で発表され、多数の受注を得た。 ランボルギーニは最新のコンピュータテクノロジーを導入して生産をオートメーション化してウラッコを生産し、年間2,000台製造する計画であったが、これには莫大な初期投資が必要で、当時トラクターの販売が良くなかったこともあり、頓挫してしまった。そのため生産には莫大なコストが掛かることになり、販売価格も上昇させざるを得なくなった。 1972年秋に生産が始まり、1973年にようやく発売にこぎ着けるが販売は思わしくなかった。新型V8エンジンは信頼性が低く、特に深刻だったのはクランクシャフトとドライブベルトの破損で、最低でもシリンダーヘッドにダメージがあり、最悪エンジン自体が破壊されてしまった。 1974年には年に500台を生産できるまでになり、またアメリカでの販売が始まったが、注文が少なかった。 結局791台を生産して1979年に製造中止した。しかしこの車体と3.5リッターV8エンジンをベースに、後に2シーターオープンカー(タルガトップ)のシルエットを販売、ジャルパに受け継がれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ランボルギーニ・ウラッコ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lamborghini Urraco 」があります。 スポンサード リンク
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