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ウラディーミル・ヴェルビツキー : ミニ英和和英辞書
ウラディーミル・ヴェルビツキー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウラディーミル・ヴェルビツキー : ウィキペディア日本語版
ウラディーミル・ヴェルビツキー[ちょうおん]

ウラディーミル・イーゴレヴィチ・ヴェルビツキー〔日本語表記はヴェルビーツキーとする場合もある。〕(、ラテン文字表記の例:Vladimir Igorevich Verbitsky、1943年11月24日 - )は、ロシア出身の指揮者ロシア連邦人民芸術家(1995年授与〔ヴォロネジ国立交響楽団の公式サイトでは1991年授与。〕)。2009年オーストラリア市民権を取得。
== 概要 ==
レニングラードに生まれる。レニングラード国立アカデミー合唱団附属グリンカ記念合唱学校を1961年に卒業、続いてレニングラード音楽院ピアノを専攻し、同時に合唱指揮及びオペラ、交響楽の指揮法を学ぶ〔オペラ、交響楽の指揮法はグリクーロフに師事。後にムラヴィンスキーにも師事した。〕。1972年、音楽院卒業と同時にヴォロネジ国立交響楽団の指揮者に招かれ、以後40年以上にわたって首席指揮者兼音楽監督として同楽団を統率している〔息子であるイーゴリ・ウラディミロヴィチ・ヴェルビツキー(Игорь Владимирович Вербицкий 1966年 - )も1992年より同楽団の指揮者陣に加わっている。〕。並行して音楽コンクールにも参加、1973年のカラヤン国際指揮者コンクール、1975年のヴィラ=ロボス・コンクール、1977年の第2回ブダペスト国際指揮者コンクールにそれぞれ入賞し、ソビエト連邦国外からも注目された。1976年ソビエト国立交響楽団を振ってモスクワでのデビューを果たす。この時、ギレリスの伴奏を務め、これが縁で以後しばしばギレリスと協演するようになり、また、2年後の1978年にはソビエト国立交響楽団の客演指揮者にもなっている。1982年から1984年の間、スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務める。1986年、ソビエト国立交響楽団とオーストラリア公演を行い、以後、同国での活動が活発なものとなる。翌1987年パースに本拠を置く西オーストラリア交響楽団の客演指揮者に迎えられ、1992年には首席客演指揮者、1997年には桂冠指揮者に昇格した。ヴェルビツキーは2009年6月6日にオーストラリア市民権を取得している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウラディーミル・ヴェルビツキー」の詳細全文を読む




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