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ウリチ族(、、ベラルーシ語(タラシケヴィツァ):)とは、8世紀から10世紀にかけて、ドニエストル川下流や南ブーフ川沿い、黒海沿岸に居住していた東スラヴ民族の部族である。年代記においては、ウリチ、ウルチ、ウグリチ、ウルチチ、リュチチ、リュチャネ等の異なる表記がなされている〔''Г. В. Вернадский'' История России. Образование Киевской Руси (839—878 гг.) 〕。 『原初年代記』には、「ウリチ族とチヴェルツィ族はドニエストル川のほとりに居住し、ドナウ川に接していた。その数は多く、ドニエストル川沿いに海(黒海)まで広がっていた」という主旨の記述がある〔中村喜和『原初年代記』// 『ロシア中世物語集』p7〕。ウリチ族の居住領域の中心都市はペレセチェニであった。 10世紀の前半に、ウリチ族は独立性の保持をかけてキエフ大公国と戦ったが、結果的にはキエフの政権を承認し、その領域はキエフ大公国の一部に組み込まれた。その後、ウリチ族と、領域を接するチヴェルツィ族は、共に領域の北方に到来した遊牧民族のペチェネグ族に圧迫され、西方のヴォルィニャーネ族と融合した。970年代以降の年代記上に、ウリチ族に関する記述はみられなくなるが、それはペチェネグ族に滅ぼされ、消滅したためであると思われる〔和田春樹『ロシア史』p18〕。 ==脚注== 注釈 出典 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウリチ族」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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