翻訳と辞書
Words near each other
・ ウルグアイ関係記事の一覧
・ ウルグアイ陸軍
・ ウルグアイ音楽
・ ウルグアヤン・インベイジョン
・ ウルグチャト
・ ウルグチャト県
・ ウルグト
・ ウルグベク・バカイェフ
・ ウルグベク・バカエフ
・ ウルグベク・バカーエフ
ウルグベク天文台
・ ウルグル
・ ウルグル山
・ ウルグル山地
・ ウルグワイ
・ ウルグ・ベク
・ ウルグ・ベク (小惑星)
・ ウルグ・ベク・マドラサ
・ ウルグ・ベク・マドラサ (ブハラ)
・ ウルグ・ベク天文台


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ウルグベク天文台 : ミニ英和和英辞書
ウルグベク天文台[だい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [てん]
 【名詞】 1. heaven 2. sky 
天文 : [てんもん]
 【名詞】 1. astronomy 
天文台 : [てんもんだい]
 【名詞】 1. astronomical observatory 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
: [だい]
  1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles 

ウルグベク天文台 ( リダイレクト:ウルグ・ベク天文台 ) : ウィキペディア日本語版
ウルグ・ベク天文台[うるぐべくてんもんだい]

ウルグ・ベク天文台 () はウズベキスタンサマルカンドにある天文台である。ウルグ・ベク天文台はティムール朝の君主であり、天文学者でもあったウルグ・ベクにより1420年代に建設され、中世イスラム世界において有数の天文台とされている〔 Science in Islamic civilisation: proceedings of the international symposia: "Science institutions in Islamic civilisation", & "Science and technology in the Turkish and Islamic world"〕。ウルグ・ベク天文台にはジャムシード・カーシーや、そしてウルグ・ベク本人といった、中世イスラム世界の有名な天文学者が多数勤務していた。ウルグ・ベク天文台はウルグ・ベクの死後1449年に大部分が破壊され、約450年後の1908年に地下部分が発見されることとなった。
==歴史と設備==

1420年、偉大な天文学者であったウルグ・ベクはサマルカンドにマドラサを建設し、ウルグ・ベク・マドラサと名付けた。このマドラサは天文学研究の中心地としての役割を果たし、最盛期には60~70人の高名な天文学者が研究を行なっていた。1424年、ウルグ・ベクはマドラサにおける天文学研究をサポートするための天文台の建設を開始し、5年後の1429年に天文台が完成した。ウルグ・ベクはなどの学者とともに当時は「サマルカンド天文台」と呼ばれた施設で天体観測を行なっていた。アリー・クシュズィーはウルグ・ベクが死去するまで天文台で働いていた〔Osmanlı imparatorluğunun doruğu 16. yüzyıl teknolojisi, Editor Prof. Dr. Kazım Çeçen, Istanbul 1999, Omaş ofset A.Ş.〕。
他にも (アリー・クシュズィーの死後マドラサと天文台の長となった) やジャムシード・カーシーといった当時の一流の天文学者がウルグ・ベク天文台に集い天体観測を行なっていた。
しかし、天文台はウルグ・ベクが死去した1449年に保守的なイスラム教信者によって破壊され、サマルカンド出身のロシアの考古学者が天文台の正確な位置を記した文書を頼りにウルグ・ベク天文台を1908年に発見するまで全く知られることはなかった〔。
天文台の発掘作業を行う中で、ヴィヤトキンは天文台で使用されていた最も重要な天体観測施設である、太陽の南中を決定するための観測施設を発見した。幅2mの溝が子午線に沿って丘の地下に掘られており、溝は地中でアーチ状になっていた。今日では、天文台の位置には元の構造を示す円形の基礎部分と扉が有り、扉はファフリー (Fakhrī) の六分儀の地下部分へとつながっており、この部分には屋根がついている。六分儀は全長11mであり、かつては周りの三層構造の一番上にまで達していたが、地震から保護するため地中に配置されていた。半径は40.4mであり、当時としては世界最大の象限儀 (四分儀) であった。中世トルコの天文学者によれば子午線弧の半径は約50mであり、イスタンブルにあるハギア・ソフィアモスクのドーム部分と同じ高さであったとされている。建物の全高は21m、敷地は南北170m、東西85mに渡っていた〔。天文台では精密な天球儀アストロラーベを用いた太陽、月及びその他の天体の観測が行われており、サマルカンドで働いていた天文学者は子午面上の太陽の高さと天頂赤緯からの距離を用いて毎日の正午の正確な時刻を計算することができた。
1437年、天文台を用いた天文学的な研究により、1260~1270年代に価値のある三角関数表を作成したにおいて作成されたイルハン朝時代の星表を更新した。には改良された惑星のパラメータと1,018個の星の座標の位置が記載されていた。これはプトレマイオスアル・スーフィーの仕事の単なる更新ではなく、天文台における独自の観測に基づいていた。実際、ウルグ・ベクと天文台勤務の学者たちは「赤緯と赤経を用いた恒星の位置の決定」の冒頭部分において、単なる更新では見られないはずの多くの不正確な計算を行なっている。

ウルグ・ベク天文台で行われたこれらの発見や研究は当時の天文学者にとって日食を予測し、日の出や天体の推移の時刻を計算する上で極めて重要なものであり、彼らは恒星年 (一年の長さに相当) を365日6時間10分8秒と計算した。これは約600年後の現代の計算によって得られる数値である365日6時間10分9.6秒と約2秒しか違わないという精確さであった。1449年に天文台は破壊されたが、その後も約75年間に渡ってサマルカンドで天文学の研究が続けられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウルグ・ベク天文台」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ulugh Beg Observatory 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.