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ウルツィニ(モンテネグロ語:Улцињ / Ulcinj、アルバニア語ではウルチニ:Ulqini / Ulqin)とは、モンテネグロの都市であり、同国最南端の都市である。 == 歴史 == この地域の歴史は古く、青銅器時代の居住の跡が見られる。また、紀元前5世紀にコルキスの植民によってこの都市は発見され、紀元前3世紀の詩人、ロドスのアポローニオスにもこの都市は触れられている。 その後、この地にギリシアの影響が強くなってくると、イリュリア人は石の壁をこの地に建設し、そして、紀元前163年、ローマ帝国はこの地をオルシニウムと命名した。そして、ローマ帝国が東西分裂を起こすと、東ローマ帝国の管轄下に入った。 中世になるまで、この地はアドリア海に於ける海賊の本拠地の一つとして有名であった。併し、この地の住民に対する外部の印象は意外にもよく、細部にまで気を遣い、よく議論すると言う印象であったと言う。 1183年、中世セルビア王国のステファン・ネマニャはこの地を征服し、その後にこの地はアドリア海沿岸の重要な都市として栄えた。そして、1355年にこの地の名前がウルツィニに改名された。 1423年にこの地がヴェネツィア共和国に征服されると、この都市の名前もヴェネツィア語のドゥルチーニョ(Dulcigno)に改名され、アルバニア・ヴェネタに属す事となった。また、この頃、この地の海岸でサラセン人の船が海難事故を起こし、それ以降この地にはアフリカからの人も居住するようになった。 その後にこの地はオスマン帝国によって征服され、ベルリン会議でモンテネグロ王国が独立し、その領域の端として編入された。その後、近代セルビア王国、ユーゴスラビア王国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、ユーゴスラビア連邦共和国、セルビア・モンテネグロに属した後、現在のモンテネグロに属しているのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ウルツィニ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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