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ULTRA BIDE(ウルトラ・ビデ)は、1978年に京都で結成された日本のアヴァンギャルド・パンク・バンド。早くから即興演奏などを取り入れ、後のパンク、ノイズ、サイケデリックなどの日本のアンダーグラウンドシーンに影響を与えた。 == 来歴 == 1978年、BIDE(ギター、ヴォーカル)、JOJO広重(ベース)、渡邉浩一郎(キーボード、ヴァイオリン、リード、エレクトロニクスほか)、Taiqui(ドラムス)の4人で「ULTRA BIDE」を結成。大阪難波ギャルソンにて初ライブを行った。 1979年、INU、アーント・サリー、SSと4バンド共同で、「東京ロッカーズ」に対して「関西 NO WAVE」として東京で連続公演を行った。しかし、ULTRA BIDEは年内いっぱいで活動を停止した。 1980年、INUの町田町蔵 が中心となりリリースされた関西バンドのオムニバスLP『DOKKIRI RECORD』にULTRA BIDEとして1曲参加。 その後、BIDEは「BIDE & VIBRATOR FATHERS」を結成し、コンチネンタル・キッズらとともに京都のライブ企画団体「BEAT CRAZY」などで活躍。渡邉浩一郎はマヘル・シャラル・ハシュ・バズの初期メンバーとしてなど精力的に活動を繰り広げたが、1990年に他界。ソロ・アルバム『まとめてアバヨを云わせてもらうぜ』も発表されている。Taiqui はAin Soph、あがた森魚バンドなどで活躍。そして、JOJO広重はノイズ・バンドの「非常階段」を結成し、アルケミーレコードを立ち上げた。 1984年、アルケミー・レコード最初の作品として、1978 - 1979年の渋谷屋根裏などでのライブ音源を集めたアルバム『THE ORIGINAL ULTRA BIDE』をリリース。 1986年、ニューヨークに渡ったBIDE(HIDEに改名)は、現地にて「ULTRA BIDE」名義で活動を開始。2003年の帰国までニューヨークのアンダーグラウンド・シーンで活動し、3枚のアルバムを発表した。 2003年、HIDE、JOJO広重、Taiquiのオリジナル・メンバー、そして渡邉浩一郎に代わりナスカ・カーの中屋浩市が集まり、東京、浜松、大阪のみで再結成ライブを行った。また、1979年の渋谷屋根裏、京大西部講堂でのライブ、「DOKKIRI RECORD」からの音源、当時の未発表スタジオ・レコーディング・テイクなどをまとめたアルバム『IMPROVISATION ANARCHY』をリリース。そして、BIDE(HIDE)による「ULTRA BIDE」も日本で活動を再開した。 2013年、古巣の Alternative Tentacles から「DNA vs.DNA-c」をリリース。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ULTRA BIDE」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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