翻訳と辞書
Words near each other
・ ウルリック・マンター
・ ウルリッヒ
・ ウルリッヒディークマン
・ ウルリッヒ・ケスラー
・ ウルリッヒ・サルコウ
・ ウルリッヒ・ザイドル
・ ウルリッヒ・シュティーリケ
・ ウルリッヒ・シュナウス
・ ウルリッヒ・ツヴィングリ
・ ウルリッヒ・ディークマン
ウルリッヒ・デメジエール
・ ウルリッヒ・トゥクル
・ ウルリッヒ・ドレッパー
・ ウルリッヒ・ヌーテン
・ ウルリッヒ・ネーテン
・ ウルリッヒ・ハプスブルク=ロートリンゲン
・ ウルリッヒ・ファン・ホッベル
・ ウルリッヒ・プレンツドルフ
・ ウルリッヒ・ベック
・ ウルリッヒ・マテス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ウルリッヒ・デメジエール : ミニ英和和英辞書
ウルリッヒ・デメジエール[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

メジ : [めじ]
 (n) mage, (n) mage
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウルリッヒ・デメジエール : ウィキペディア日本語版
ウルリッヒ・デメジエール[ちょうおん]

カール・エアンスト・ウルリッヒ・デメジエール(ド・メジエール)(, 1912年2月24日2006年8月26日)は、ドイツ西ドイツ)の軍人1966年から1972年まで、第4代連邦軍総監を務めた。
== 経歴 ==

=== ドイツ国防軍 ===
シュターデに生まれる。デメジエール家はフランスから逃れてきたユグノーの子孫である。父のいない家庭にハノーファーで育ち、1930年のアビトゥーア合格後に陸軍に入り、士官候補生として第5歩兵連隊に配属される。1933年に少尉に任官。1937年に第50歩兵連隊に転属。
1939年に第二次世界大戦が勃発すると、大尉・連隊副官としてポーランド侵攻に従軍。速成の参謀教育を受けた後、1940年にヴィルヘルム・フォン・レープ上級大将率いるC軍集団主席参謀に就任。1941年1月に第18歩兵師団兵站部長(次席参謀)に転じる。同師団はバルバロッサ作戦に従軍してレニングラード前面に迫ったが、ヴォルホフ川を挟んだ膠着戦に陥った。1942年1月に陸軍総司令部に転属となり、少佐として新師団の編成事務に従事。この間、のちに初代連邦軍総監となる作戦部長アドルフ・ホイジンガー少将などの知遇を得た。
1943年2月に再び東部戦線に転属となる。中佐に昇進したデメジエールはオリョールで新編成の第10装甲擲弾兵師団主任参謀に任命された。同師団は同年夏のクルスクの戦いに参加したが、その後の16ヶ月間は退却が続き、壊滅した。この間デメジエールは対戦車砲弾の破片で負傷した。1945年2月に再び陸軍総司令部に転属となり、作戦部主任参謀に就任した。その後短期間部長職を代行し、アドルフ・ヒトラーの前で情勢分析をおこなっている。5月8日にドイツが降伏すると、デメジエールは作戦部長としてクールラント・ポケットに赴いてクールラント軍集団司令官カール・ヒルペルト上級大将や参謀長フリードリヒ・フェルチュ中将に降伏の確認を行い、別れを告げた。その後国防軍最高司令部が避難していたフレンスブルクに戻り、5月23日にカール・デーニッツ元帥らが連合軍に逮捕されたのに伴い、自ら出頭してイギリス軍の捕虜になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウルリッヒ・デメジエール」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.