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エア・サイアム(Air Siam)はタイ王国にかつて存在した航空会社。シャム航空と表記する場合もあった〔『朝日新聞』1974年9月12日朝刊〕。 == 歴史 == 1965年9月15日にバラン・エア・サイアム(Varan Air-Siam)として設立。 社名の一部のVaranは出資者で経営者であったタイ王族の一人、Varananda Dhavaj氏に由来していた。 1970年2月にDC-4によるバンコク=香港間の貨物輸送を開始。 1971年3月にバンコク=香港=東京=ホノルル=ロサンゼルス線を開設して日本乗り入れを開始。開設当初はDC-8による運航であった。地上業務等は日本航空と提携した。1971年7月1日現在では週4便を運航していた。 その後、1972年の運休を経て1975年から1976年の間はバンコク=香港=福岡=ホノルル=ロサンゼルス線も運航していた〔福岡空港調査委員会(福岡県・福岡市の内部組織)作成資料 〕。機材はDC-10やボーイング747を使用していた。 従来の相場より安い価格設定の格安航空券が人気を呼んだが、1975年1月にタイ政府が政策として国際線を運航する会社を1つにすることを決めたため経営が悪化。1976年12月29日には資金難から突然に運航を中止した。その後、運航を再開するも1977年1月14日についに最終的な運航不能となり、タイ政府にタイ国際航空への吸収合併を申し立てた。 バンコクでは日本人120人を含む乗客400人が取り残されままとなった。 運航不能に至った際の保有機はKLMオランダ航空からのリース機のボーイング747が1機のみであった〔「自転車飛行息切れ エア・サイアム 国営に吸収を申請 『朝日新聞』1977年1月15日朝刊〕。 1977年2月3日にタイ交通省から運行免許が停止され〔『朝日新聞』1977年2月4日付〕、羽田空港の使用料1億2106万円は支払われないままとなった〔この未払金は約30年後の2008年3月31日時点の空港整備特別会計に未収金として計上されていた。〕。そのほか地上業務や発券を提携していた日本航空、全日空、日本アジア航空、旅行代理店等に多額の負債を残したままとなった〔『朝日新聞』1977年2月15日付〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エア・サイアム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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