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エイシンバーリン : ミニ英和和英辞書
エイシンバーリン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エイシンバーリン : ウィキペディア日本語版
エイシンバーリン[ちょうおん]

エイシンバーリンとは日本競走馬である。1990年代半ばに短距離戦線で活躍し、1997年シルクロードステークスにおいて、日本競馬史上初めて芝1200メートルで1分7秒の壁を破る1分6秒9の日本レコードタイムで勝利するなど、快足の逃げ馬として知られた。馬名は冠名「エイシン」+ドイツの都市ベルリンの英語読み「バーリン」。
== 戦績 ==
''馬齢については、旧表記とする。''
アメリカ生まれの外国産馬フロリダのセリ市で平井豊光が落札し、3歳春に来日。平井が所有する栄進牧場で育成が行われた。
1994年10月阪神競馬場で行われた新馬戦・芝1400メートルでデビュー。ここを2着に1.7秒差、当時の3歳コースレコードとなる1分21秒4で圧勝し、素質の高さを裏付ける。しかし続く重賞三競走は、ヤマニンパラダイス、スターライトマリー、プライムステージといった強豪に後れを取り、2、3、2着と勝ちきれなかった。
しかし4歳になって初戦のクイーンカップで前述のスターライトマリー、プライムステージらを抑え、重賞を制覇。牡馬相手となったアーリントンカップも連勝し、この勢いのまま「裏街道」〔当時クラシック出走権がなかった外国産馬が進む路線は、このように呼ばれていた。〕の主役になるかと目されたが、アーリントンカップのレース後に骨膜炎(ソエ)を発症する。これは若駒にしばしば見られる成長病のようなものであり、多くの場合、症状は一時的なものであるが、しかしエイシンバーリンの場合は症状が慢性化。調教さえ満足に行うことができなくなり、結局ここから1年7ヶ月に渡っての休養を余儀なくされた。
5歳秋になってようやく復帰するも、復帰後3戦は振るわなかった。しかし4戦目のキャピタルステークスを逃げ切って復活勝利を挙げると、1戦挟んでの京都牝馬特別では、阪神3歳牝馬ステークス以来およそ2年1ヶ月振りの対戦となったヤマニンパラダイスに雪辱を果たし、重賞3勝目を挙げた。続く中山記念は直線で失速し11着に敗れるが、2000mの中京記念では逃げて見せ場を作り5着に入った。その後適距離に戻ったシルクロードステークスでフラワーパーク等、当時の一線級のスプリンターを相手に驚異的なハイペースで逃げながら、最後の3ハロンも33秒4という出走馬中2番目のタイムでまとめ、日本馬として史上初めて芝1200mで1分7秒を切る、1分6秒9という日本レコードタイムで圧勝した。
結局これが最後の勝利となったが、続くGI高松宮記念でも2着に逃げ粘り、その後も12戦して重賞で2着4回、GIで3着1回など短距離戦線には欠かせない馬として息の長い活躍を続けた。特に平たんコースの中京競馬場と相性が良く距離適性が無かった上記中京記念も含めてすべて掲示板に載っている。6歳冬のスプリンターズステークス10着を最後に引退。北海道の栄進牧場で繁殖入りとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エイシンバーリン」の詳細全文を読む




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