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営田 営電
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叡山電鉄株式会社(えいざんでんてつ、')は、京都府京都市左京区の出町柳駅から八瀬・鞍馬への路線を運営する鉄道会社。通称「叡山電車」。略称は「叡電」(えいでん)〔。本社は京都市左京区山端壱町田町8番地の80(修学院駅に隣接)、本店は京都市左京区山端壱町田町14番地の1。 1985年に京福電気鉄道(京福)の完全子会社として設立されたが、1991年11月に京阪電気鉄道(京阪)が筆頭株主となったのち、2002年3月からは同社の完全子会社となっている(後述)。 全国登山鉄道‰会に加盟している。)は、京都府京都市左京区の出町柳駅から八瀬・鞍馬への路線を運営する鉄道会社。通称「叡山電車」。略称は「叡電」(えいでん)〔。本社は京都市左京区山端壱町田町8番地の80(修学院駅に隣接)、本店は京都市左京区山端壱町田町14番地の1。 1985年に京福電気鉄道(京福)の完全子会社として設立されたが、1991年11月に京阪電気鉄道(京阪)が筆頭株主となったのち、2002年3月からは同社の完全子会社となっている(後述)。 全国登山鉄道‰会に加盟している。 == 概要 == 叡山本線・鞍馬線の2路線を運営し、比叡山・鞍馬方面への観光客輸送、周辺住民輸送を担っている。 これらの路線は、かつて京都電燈および鞍馬電気鉄道により運営され、電力事業の戦時統制による再編後は京福が運営していた。1960年代からのモータリゼーションにより1964年から乗客数が減少に転じていたが、1978年9月の京都市電全廃により他の鉄道路線からの連絡が絶たれたことで沿線から京都市内中心部を直結する路線バスに乗客が流れ、叡山本線、鞍馬線の利用客は一気に減少した。特に叡山本線は年間5億円以上の赤字を出し、京福電鉄全体、ひいては京福を配下にもつ京阪グループの経営を圧迫する事態となった〔。 叡山本線・鞍馬線の赤字を京福本体が負担し金利負担を低減すること、人件費の削減を目指して1985年7月に京福電鉄全額出資、全社員が京福電鉄から出向する形で叡山電鉄株式会社が設立された〔〔。 分離以前から電鉄側でも集客に努めており、各種イベントの開催や、京福に残った八瀬遊園〔子会社の「比叡産業」に経営委託。〕の次々の改装のほか、特にこの時期においてさえも出町柳 - 宝ケ池間で日中毎時8本運転とし「待たずに乗れる」を印象付けていたことは特筆に値する。それでも乗客数は会社設立時の1985年でそれまでのピークであった1964年の4割にまで落ち込み、なお減少傾向であった。 1989年10月5日に京阪鴨東線が開業して叡山本線と出町柳で連絡することで叡山電鉄の旅客数は倍増、収入も2.5倍となったが、この状態でも収支はようやく黒字になる程度で、19億4千万円に達していた累積損失の解消のめどは立たず、京福電鉄傘下での経営再建は不可能と判断された〔。京阪電鉄からの特別融資を低利で受けることなどを目的に1991年10月に株式の60%を京阪電鉄に売却、併せて人件費削減のため従業員全員が叡山電鉄に移籍した〔〔。その後2002年3月に京阪が残りの全株式を取得し、叡山電鉄は京阪電鉄の100%子会社となった。 いったん増加した利用客も1997年に京都市営地下鉄烏丸線が国際会館駅まで延長され、その後同駅を中心にバス路線網も再整備されたため、左京区岩倉地域の住民が市中心部へ向かう場合などの利用がそちらに移転することになった結果、利用者が減少しつつある。 これに対して1997年にパノラミック電車「きらら」を登場させ、各種イベントを開催するなど積極的な利用者確保を行なうと共に、2004年には原則として全列車のワンマン化を行うなどの経費削減策も講じている。2005年は、NHK大河ドラマ『義経』のために鞍馬方面の観光がブームになり、近年にない賑わいを見せた。 京都市建設局により、並行して走る鞍馬街道(京都府道38号京都広河原美山線)のバイパス建設や拡幅整備が計画されており、完成すると鞍馬方面への大型観光バス等の通行が容易となることから、その将来は必ずしも安泰ではない。 略称の「叡電」は現在の叡山本線が京都電燈の叡山電鉄部であったことに由来し、京福となったあとも叡山本線・鞍馬線の総称として一般に使われていた。分社によって、略称が文字通り会社名の省略形となった〔家電量販店のエディオンの前身の一つで、愛知県名古屋市に本社を置いていた「株式会社エイデン」は旧社名の「栄電社」が由来であり叡山電鉄とは全く無関係である。〕。 分社当時、京福が京阪の子会社〔京福の発行済株式の約40%を京阪が保有している。〕であったものの、車両技術面では阪神電気鉄道から831形を譲り受けてデナ500形として導入したことがあったことや、阪神の関連会社であった武庫川車両工業(現在は廃業)での車両製造の経緯などから阪神色が強いなど、独特の京福(叡電)色を有していた。1989年の京阪鴨東線開業あたりから、サービス面で徐々に京阪色も出てきていた〔自動券売機の路線図が京阪様式になる、制帽がいわゆる「京阪ドゴール帽」になるなど。〕が、2002年に京福が越前本線列車衝突事故による経営悪化のため所有株をすべて京阪に売却し同社の完全子会社となって以降、京福色から京阪色の色合いが多岐にわたって濃くなってきている〔駅、車内の広告や告知、案内放送のほか、車両への部品再利用等が行われている。〕。ロゴマークは2008年以降、京阪電鉄と同じ「KEIHAN」で、下に「叡山電車」の文字が入ったものである。 PiTaPa・ICOCA・Suica・PASMOなどのICカード式乗車券へは2016年3月16日より対応を開始している〔叡山電車では、2016年3月16日(水)にICカードシステムを導入いたします - 叡山電鉄、2016年2月25日〕〔叡山電鉄、ICカード導入は3月16日…PiTaPa割引やICOCA連絡定期も - レスポンス、2016年2月25日〕。なお、ICカード導入を前に2016年1月31日をもって磁気式のスルッとKANSAIカードへの対応を終了させた(フリーパス類は引き続き呈示で対応)〔 - 叡山電鉄、2015年12月10日〕。スルッとKANSAIでカードに印字される符号はEZであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「叡山電鉄」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Eizan Electric Railway 」があります。 スポンサード リンク
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