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エイブル・アート (Able Art) とは、エイブル・アート・ジャパン(会長、嶋本昭三)が主導する障害者芸術をとらえ直す運動、ノーマライゼーション運動である。この用語が定着した現在では障害者芸術自体をエイブル・アートと呼ばれることもよくあり、運動としての一面を強く出す時には、エイブル・アート・ムーブメントという用語が使われる。 1995年に始まった、日本発の運動である。目的は2つあり、ひとつは、それまで価値の低いものとみられてきた障害者芸術のすばらしさを知らしめ、障害者の地位を高めること、もうひとつは、そうした活動を通して、誰も疎外されたり排除されない社会の実現を目指すことである。近年は障害者芸術ばかりではなく、生きづらさを抱える多様な人たちが抱える問題についても扱うようになっている。 この記事では、エイブル・アート自体についてと、主導するエイブル・アート・ジャパンの活動について解説する。エイブル・アート・ジャパン以外にも、エイブルアート・カンパニーや財団法人たんぽぽの家といったエイブル・アート・ジャパンに関連する団体などが、エイブル・アート・ムーブメントに積極的に関わっている。 == 歴史 == エイブル・アート・ジャパンという組織の前身となったのは、日本障害者芸術文化協会である。この団体は、1993年結成の障害者芸術文化ネットワーク準備委員会が1994年に発展解消したもので、奈良市の財団法人たんぽぽの家に事務所を置いていた。結成の中心となったのは、たんぽぽの家の理事長である播磨靖夫である。播磨は、障害者芸術が障害のない人の芸術よりも下に見られる状況に疑問を持ち、1995年にエイブル・アートという語を提唱した。これは、障害者芸術のもつ可能性に着目し、「Able Art(=可能性の芸術)」という造語を当てたものである(英語として見るとあまり意味をなさない)。播磨は、エイブル・アートには、見る人の「人間性を回復させる」力があると信じ、日本障害者芸術文化協会を、それまでバラバラに活動されてきた障害者芸術の振興運動をつなげる場として組織したのだった。播磨はこの功績により、2010年に芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)を受賞している。 日本障害者芸術文化協会は、設立当初の1995年からいくつもの展覧会をひらき、1997年の「魂の対話 Able Art '97」では、岡崎清子の監修のもと、西垣籌一によるみずのき寮での活動、西村陽平による千葉盲学校での活動を紹介した。1999年の「エイブル・アート'99」では、アウトサイダー・アートの専門家である服部正をチーフ・キュレーターに迎え、「このアートで元気になる」という副題をつけて開催された。この二つの展覧会は反響も大きく、エイブル・アートの名を広めることとなった。 2000年に協会は、エイブル・アート・ジャパンに改称した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エイブル・アート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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