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エウラリア・デ・ボルボーン : ミニ英和和英辞書
エウラリア・デ・ボルボーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エウラリア・デ・ボルボーン : ウィキペディア日本語版
エウラリア・デ・ボルボーン[ちょうおん]

マリーア・エウラリア・フランシスカ・デ・アシス・マルガリータ・ロベルタ・イサベル・フランシスカ・デ・パウラ・クリスティーナ・マリーア・デ・ラ・ピエダ・デ・ボルボン(, 1864年2月12日 - 1958年3月8日)は、ガリエラ公アントニオの妻。スペイン女王イサベル2世王配フランシスコ・デ・アシスの末娘。
マドリード王宮で誕生。1868年、革命のため一家でフランスへ亡命。1874年、兄アルフォンソ12世が即位したため、1877年に一家で帰国。最初は母イサベルとエル・エスコリアル修道院に住んだが、のちセビーリャアルカサルへ移り、その後マドリードへ戻った。
1886年3月9日、従弟にあたるガリエラ公アントニオと結婚。前年に兄アルフォンソ12世が急死したため、予定より7ヶ月遅れて挙式が行われた。2人の間には2男が生まれた。
*アルフォンソ(1886年 - 1975年) - ガリエラ公。ザクセン=コーブルク=ゴータ公女ベアトリーツェと結婚。
*ルイス・フェルナンド(1888年 - 1945年) - 1924年、フランスで麻薬の密輸に関わったため国外追放を受け、アルフォンソ13世によって王族特権を剥奪された。
ルイス・フェルナンドの誕生後、エウラリアは夫と別居し、スペインとパリで暮らした。親戚・縁戚と頻繁に連絡を取り合いながら、王室の暴露本を数冊書いた作家でもあった。
1958年、心臓発作のため亡くなり、エル・エスコリアル修道院へ埋葬された。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エウラリア・デ・ボルボーン」の詳細全文を読む




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