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本項ではエクアドルにおける美術の展開を概略する。 ==先コロンブス期== 紀元前9000年ごろに発生したエクアドル最古の文化であるラス・ベガス文化は無土器文化であり、美術的形態を有する遺物は発見されておらず、多様な文様を刻んだ土器や髪を垂らした女性偶像などが出土したのは紀元前3000年ごろのバルディビア文化の時期からであった。バルディビア文化の土器はその装飾的な特徴から日本の縄文時代中期の土器と類似点が多く、これらを根拠として太平洋を渡った縄文人の影響を仮想する学説も誕生している。 紀元前1500年ごろに入るとエクアドル南部で興ったチョレーラ文化が影響を強め、土器や石器の形態も多様化した。同時に動植物や人間をモチーフとした長頚壷や楽器に似た容器などが出土しており、創造力・技術力の両面から前時代を凌駕するようになった。紀元前500年ごろには地域によった個性が見られるようになり、特に海岸部では刺青風習を反映した人像が制作されたガンガラ文化、オセアニアとの交流を想起させる装飾品が見られるバイーア文化やハマ=コアケ文化など、個性的な遺品が出土した文化が多数存在している。 6世紀の統合期に入るとキト周辺で発展したカラ文化において儀礼用の大型土器が製作された他、プルア文化では貨幣用途でも使用していたと思われる磨製石斧が数多く産出した。平野部のミラグロ=ケベド文化では地下墳墓が建設され、特徴のある死生観を見せた。15世紀後半にインカ帝国の支配下に入ると、クスコからキトを結ぶインカ道が築かれ、インカ式土器(アリバリョ土器、ケロ容器)が広く普及した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エクアドル美術」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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