|
国家安全保障会議執行委員会(Executive Committee of the National Security Council)、略称エクスコム(ExComm)とは、1962年10月に起こったキューバ危機に対処するためにジョン・F・ケネディ政権下で設置された機関。危機の12日間の間、絶え間なく会議を開き、危機の回避に努めた。また、その後も6週間ほど立て続けに会議を開いた。この会議の中でメンバーは、役職や地位に関わりなく自由闊達に意見交換を行い、慎重を要する対応の決定に大きな役割を果たした。メンバーの中にはNATOの支持を得るためド・ゴールの説得に当たったディーン・アチソンや駐米ソ連大使アナトリー・ドブルイニンとの会見をもったロバート・F・ケネディのように、危機回避のために外国要人と直接会見し、大きな役割を果たした者もいる。構成員はアメリカ国家安全保障会議 (NSC)の9人と追加の4人であり、他に十数人の顧問がいた。 会議はホワイトハウスのウェストウィングにあるキャビネットルームで行われた〔国家安全保障会議の緊急対応は指揮通信の整った地下にあるシチュエーションルームで行われるが、とても狭い。エクスコムは核戦争やテロの危険があるのに、地上の部屋で開かれていた。〕。 これらの構成員や顧問の役割は肩書き抜きであり、外交問題評議会(CFR)メンバーとして若いケネディ政権を圧倒する経験、知識、影響力を持っていた。ワシントンとニューヨークの政財界を往来するエスタブリッシュメントの有力者であり、数年後にはジョンソンにベトナム戦争の拡大を承認し、その後戦況が悪化したときに撤退を勧告する「賢人Wisemen」として活動する〔有力者の中では、W・アヴェレル・ハリマン、H・キャボット・ロッジ、ピーター・G・ピーターソン、アーサー・H・ディーンなどがエクスコムに参加していない。〕。 ::例えばディロン財務長官はディロン・リード商会、ボール国務副長官はリーマンブラザース出身、マクロイは大手石油企業数社の首席弁護士、ポール・ニッツェも財界人といえる。ラスク国務長官の前職はロックフェラー財団理事長、バンディ補佐官は辞任後フォード財団理事長になる。 ==構成員== ★は正式メンバー、他は顧問。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エクスコム」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 EXCOMM 」があります。 スポンサード リンク
|