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エクセキアス
エクセキアス(、Exekias)は古代ギリシアの陶芸家および陶器の絵付師で、おおよそ紀元前550年から紀元前525年のアテナイで活動した。彼の作品の多くはエトルリアなど地中海各地に輸出され、アテネに残っている作品は一部である〔エクセキアスの作品の分布 〕。エクセキアスは主に黒絵式陶器を作った。これは黒色で像のシルエットを描き、乾いたところに刻線で細かい描写をし、時には赤や白の彩色を施してから焼く方式である。エクセキアスは黒絵式陶器の独自の極めて精緻な作品を残した陶芸家および絵付師として知られている。陶器絵付師アンドキデス (en) はエクセキアスの弟子の1人とされている〔Pauly's Real-Encyclopadie 6, Stuttgart 1909, 1586〕。 == 背景 ==
エクセキアスの作品は、その雄大な構図、精緻なデッサン、微妙な描法を特徴とし、黒絵式の限界を超越している。ギリシア美術史家 John Boardman は「エクセキアスの作品は、その堂々とした威厳により、陶器の絵を始めて芸術品として美術館に収めてもおかしくないものに高めた」としている〔John Boardman, ''Athenian Black Figure Vases'', 1974〕。革新的な陶芸家で絵付師であり、新たな形状を模索したり絵付けの新たな色を研究したりしていた。 エクセキアスの作品と確定している現存する陶器は16点だが、様式の比較からもっと多くの陶器が彼の作品と言われている。彼の署名のある作品は、エクセキアス自身の業績についてだけでなく、当時の工房の運営方法についても洞察を与えてくれる。彼の署名のある14点のうち12点で彼の名前に epoiesen という語が付けてあり、エクセキアスは絵付師としてではなく陶工として制作に関わったことを示している。これは直訳すれば「エクセキアスが私を作った」となり、絵付師として関わった場合は egrapsen という語を付けて「エクセキアスが私を飾った」としていた。2点(ベルリン美術館 1720、バチカン・エトルリア美術館 16757)には弱強格の三歩格で "Exekias egrapse kapiese me"(エクセキアスが私を作り、飾った)とあり、この2点に関してはエクセキアスは作陶にも絵付けにも責任を負っていることを示している。このことから、「陶工」としてのみエクセキアスが署名した作品は他人が絵付けをしたのか、それとも特に気に入った出来の絵にのみ絵付師としても署名したのかという問題が生じる。"Exekias epoiesen" という署名のある陶器のうち7点にはほとんど装飾がなく、比較不能である(つまり、元々飾られていないので "egrapsen" とは付けなかった)。"egrapse kapiese me" とある陶器2点と同じ様式の装飾があるものは2点で、残りのエクセキアスと密接に関連する陶器を「グループE」と呼ぶ〔J. D. Beazley, The Development of Attic Black-Figure, Berkeley 1986〕。エクセキアスの作品自体が古代陶芸文化を体現しているが、同時にその出土場所からエクセキアスの陶器がどんな市場で流通したかという情報も得られる。例えば、エクセキアスの作品は当時のヘレニズム世界の中心地だったアテナイのアゴラだった場所でも多く見つかっている。つまり、エクセキアスは工房を構えた場所にも顧客を多数抱えていたことを示唆する。エクセキアスのものとされる作品はアテナイのアクロポリスでも出土しており、陶芸家としての名声が高かったことを示している。アクロポリスが宗教儀式の場だったことから、彼の作品がそこに展示されていたという事実はエクセキアスが絵付師として尊敬されていたことを示している。エクセキアスはエトルリア、すなわち現在のイタリアからの注文にも応じた。アテネ以外では、エクセキアスの作品がエトルリアのVulciやオルヴィエートでも多く出土している。ギリシアに憧れたエトルリア人がギリシアの陶器を輸入したと見られている。エトルリアでエクセキアスの作品が多く出土したことから、その評判が海外にまで届いていたことが示唆され、海外にも作品を売ることができたと見られる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エクセキアス」の詳細全文を読む
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