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エクノモス岬の戦い : ミニ英和和英辞書
エクノモス岬の戦い[えくのもすみさきのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さき, みさき]
 【名詞】 1. cape (on coast) 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

エクノモス岬の戦い : ウィキペディア日本語版
エクノモス岬の戦い[えくのもすみさきのたたかい]

エクノモス岬の戦い(エクノモスみさきのたたかい、英:Battle of Cape Ecnomus)は紀元前256年シチリアのエクノモス岬周辺海域(今日のリカータ近海)にて、共和政ローマカルタゴとの間で行われた、第一次ポエニ戦争での海戦である。両軍それぞれ300隻を超える船団が参加し、各船には約100人の漕手と約150人の戦闘要員が乗船していた。動員人数で、古代地中海世界において最大規模の海戦である。
== 戦いの背景 ==
紀元前261年、ローマはシチリア南西に位置するカルタゴの拠点、アグリジェントの攻略に成功する。さらにローマは、カルタゴのもつ地中海での制海権を奪取するために、船団を新設した。しかしながら、ポエニ戦争開始時のローマには、船団どころか本格的な海戦の経験すらない状況であった。一方のカルタゴは、何世紀も海上貿易で富を築いた交易国家であり、海戦の経験も、軍船の数も、ローマに対して圧倒的に有利な状況にあった。その海戦の不利をくつがえすために、ローマは新たに進水した軍船に、特殊な乗船器具カラス装置を装備させていた。このカラス装置で敵船を捉えることにより、乗船隊として軍団を敵船に乗り込ませることを可能にした。これにより、ローマは苦手な海戦を陸戦化させることに成功し、ミレなどの海戦でも勝利を重ね、ついにはカルタゴ本国の北アフリカ(現チュニジア)の侵攻も視野に入る状況となった。
しかし北アフリカへの海外遠征を実行するためには、大規模な軍勢と物資を運ぶための輸送船団も同時に必要となる。その補給線を断つために、カルタゴもシチリア海岸一帯のパトロールを行っていた。そこでローマは、輸送船団が安全に地中海を横断し北アフリカに到着できるよう、護衛船団として200隻を超える大型ガレー船を進水させた。そして紀元前256年、2人の執政官ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングスマルクス・アティリウス・レグルスen)は、北アフリカ侵攻のためこの大船団を出発させた。
対するカルタゴも、このローマ船団を北アフリカ上陸前に叩くべく同規模の船団を動員した。カルタゴ船団はハミルカル(en)〔ハンニバルの父であるハミルカル・バルカとは別人。〕と大ハンノが指揮した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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