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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ エコノミ : [えこのみ] (n) economy, (n) economy ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
経済(けいざい、、、)とは、社会が生産活動を調整するシステム、あるいはその生産活動を指す〔『クルーグマン ミクロ経済学』の経済(economy)の定義、およびコウビルド英英辞典の項目economyより。〕。 == 概要 == 生活に必要な物やサービスは需要と供給の上に成り立っており、それらの消費のために生産が必要となる。社会が生育し近代化する過程において、自給自足から生活に必要な物やサービスを交換し合うシステムが構築されることでさらに豊かになって行った。この交換を潤滑にするものが金である。近代社会における経済は、物やサービスを生産する企業、物やサービスを消費する消費者である家庭(家計)、公共的サービスを提供する政府の3つに分けられる〔金融用語辞典 有馬秀次 Financial Artist Academy 〕。以上のような経済を主な対象とする学問として、経済学がある。 日本語の「経済」は英語の"economy"の訳語であるが、この語は古典ギリシャ語の (家政術)に由来する〔。 は家を意味し、 は規則・管理を意味する〔。従って、economyの本来の意味は家庭のやりくりにおける財の扱い方であるが、近代になってこれを国家統治の単位にまで拡張し、以前の意味と区別して政治経済学(political economy)という名称が登場する(この名称は後にアルフレッド・マーシャルによってeconomicsと改められた。)。 日本のみならず漢字文化圏のほとんどの国では、上記のような"economy"を意味する「経済」の語が普及している。この「経済」という言葉は、幕末維新期の日本において、初め(古典派経済学における)"political economy"の訳語として導入された。この訳語の考案者を福澤諭吉とする文献もある〔松原聡 『日本の経済 (図解雑学シリーズ)』 ナツメ社、2000年、26頁。〕が、福沢が書物の名前ないし講義名として「経済」という語を用いた時点(1862年、1868年)で、すでに1862年発行の辞書『英和対訳袖珍辞典』がpolitical economyの訳語として「経済」「経済学」の訳語を挙げており、同じ年に西周が手紙の中で「経済学」の語を用いている。これらの点から、福沢一人をこの訳語の作者とするのは困難である〔馮天瑜「中国語、日本語、 西洋語間の相互伝播と翻訳のプロセスにおける 「経済」 という概念の変遷」『日本研究』第31集、p.169:http://hdl.handle.net/123456789/777〕。訳語として同時期に資生も提唱されたが、こちらはあまり普及しなかった。 漢語における「経済」は、「世の中を治め、人民を救う」ことを意味する経世済民(若しくは経国済民)の略語であり、これは東晋の葛洪によって記された『抱朴子』(ほうぼくし)の記述が初出とされる〔ただし馮天瑜によれば、『抱朴子』に登場する表現は「経世済俗」である。馮天瑜「中国語、日本語、西洋語間の相互伝播と翻訳のプロセスにおける「経済」という概念の変遷」『日本研究』第31集、p.160(http://hdl.handle.net/123456789/777)参照。「経済」は唐の太祖(李淵)の造語とする説もある。〕。また今日でいう経済と意味が類似・近接した古典的漢語としては他に「理財」「食貨」「貨殖(興利)」などがあった〔「理財」は『易経』繋辞伝上に登場する古い漢語であり、詳細は当該項目を参照。また紀伝体による中国歴代王朝の正史(二十六史)において制度史・社会史・文化史を扱う「志」のなかで、社会経済史に関する巻は「食貨志」と称される。また二十六史の筆頭である『史記』の列伝中、富豪・大商人を扱った巻は「貨殖列伝」と題されている。〕。"(political) economy"の訳語としての「経済」の語法は、やがて翻訳を通じて「経世済民」の語を生んだ中国に逆輸入されたため、漢語文化圏において本来の(経世済民としての)意味は希薄になり、今日の用法が定着するに至った。''(家政術)に由来する〔。 は家を意味し、 は規則・管理を意味する〔。従って、economyの本来の意味は家庭のやりくりにおける財の扱い方であるが、近代になってこれを国家統治の単位にまで拡張し、以前の意味と区別して政治経済学(political economy)という名称が登場する(この名称は後にアルフレッド・マーシャルによってeconomicsと改められた。)。 日本のみならず漢字文化圏のほとんどの国では、上記のような"economy"を意味する「経済」の語が普及している。この「経済」という言葉は、幕末維新期の日本において、初め(古典派経済学における)"political economy"の訳語として導入された。この訳語の考案者を福澤諭吉とする文献もある〔松原聡 『日本の経済 (図解雑学シリーズ)』 ナツメ社、2000年、26頁。〕が、福沢が書物の名前ないし講義名として「経済」という語を用いた時点(1862年、1868年)で、すでに1862年発行の辞書『英和対訳袖珍辞典』がpolitical economyの訳語として「経済」「経済学」の訳語を挙げており、同じ年に西周が手紙の中で「経済学」の語を用いている。これらの点から、福沢一人をこの訳語の作者とするのは困難である〔馮天瑜「中国語、日本語、 西洋語間の相互伝播と翻訳のプロセスにおける 「経済」 という概念の変遷」『日本研究』第31集、p.169:http://hdl.handle.net/123456789/777〕。訳語として同時期に資生も提唱されたが、こちらはあまり普及しなかった。 漢語における「経済」は、「世の中を治め、人民を救う」ことを意味する経世済民(若しくは経国済民)の略語であり、これは東晋の葛洪によって記された『抱朴子』(ほうぼくし)の記述が初出とされる〔ただし馮天瑜によれば、『抱朴子』に登場する表現は「経世済俗」である。馮天瑜「中国語、日本語、西洋語間の相互伝播と翻訳のプロセスにおける「経済」という概念の変遷」『日本研究』第31集、p.160(http://hdl.handle.net/123456789/777)参照。「経済」は唐の太祖(李淵)の造語とする説もある。〕。また今日でいう経済と意味が類似・近接した古典的漢語としては他に「理財」「食貨」「貨殖(興利)」などがあった〔「理財」は『易経』繋辞伝上に登場する古い漢語であり、詳細は当該項目を参照。また紀伝体による中国歴代王朝の正史(二十六史)において制度史・社会史・文化史を扱う「志」のなかで、社会経済史に関する巻は「食貨志」と称される。また二十六史の筆頭である『史記』の列伝中、富豪・大商人を扱った巻は「貨殖列伝」と題されている。〕。"(political) economy"の訳語としての「経済」の語法は、やがて翻訳を通じて「経世済民」の語を生んだ中国に逆輸入されたため、漢語文化圏において本来の(経世済民としての)意味は希薄になり、今日の用法が定着するに至った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「経済」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Economy 」があります。 スポンサード リンク
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