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エジプト文字(エジプトもじ)とは、エジプト語の表記に用いられたヒエログリフ、ヒエラティック、デモティック、コプト文字のうち、共通の表語・表音体系を持ち互いに系統関係にあると考えられる前三者の総称〔三省堂『言語学大辞典』別巻『世界文字辞典』「エジプト文字」。なお、この項目では、ヒエログリフ、ヒエラティック、デモティックをそれぞれ「聖刻書体」、「神官書体」、「民衆書体」と呼んでいる。〕。 == 分類 == 近代のエジプト文字研究は、古代ギリシア語とエジプト語の対訳碑文であるロゼッタ・ストーンの発見により一気に進展する。エジプト語部分は2種類の文字で書かれており、ギリシア語での布告は、「神聖文字」hier(ois)、「土着文字」enchori(ois)、「ギリシア文字」で石碑に刻み寺院に設置すべしという指示に終わっていることから、これらの2種の文字がヘロドトスやシケリアのディオドロスなど古典時代の文献で言及されたエジプトの聖俗二種の文字に比定された。土着文字に対するデモティックという名称は、ヘロドトスの二分法に由来する。〔Ιστορίαι, II. 36 Wikisource(原文)〕しかし、他のエジプト遺跡の研究が進むと、書かれた文字資料の中に、さらに異なる字体があることが明らかになった。たとえば、ナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征に随行した学術調査団の報告書『エジプト誌』(:en:Description de l'Égypte 1810年)のうちテーベ墓地を担当したジョマール(:fr:Edme François Jomard)は、アレクサンドリアのクレメンスが『ストロマテイス』の中で言及しているエジプト文字の3種の用法 methodos 〔Στρωματεῖς 5.4.20. なお、この部分は、κυριολογικήという語でヒエログリフの表音性についても言及している重要な古典文献で、コプト語をエジプト語と推論したアタナシウス・キルヒャーやシャンポリオンも引用している。Wikisource(英訳)〕を引用して、神聖文字のうち、パピルスに書かれた文字が神官階級が用いたとされるヒエラティックにあたると考え、いくつかの文字について碑文のヒエログリフィック(聖刻)との対応関係を観察している。〔''Description de l'Égypte''. Antiquités Descriptions I. Descriptions Générale de Thèbes. p369ff. Bibliotheca Alexandrina Text Volumes. Antiquités Descriptions I. 612/730ff. 〕ロゼッタ碑文の解読者シャンポリオンの遺稿となった『エジプト語文法』(1836年)では、『死者の書』などに見られるしばしば彩色された線画のヒエログリフ(:fr: Hiéroglyphe linéaire)〔:en:Cursive hieroglyph。三省堂『言語学大辞典』別巻『世界文字辞典』「エジプト文字」では「筆記聖刻書体」〕とヒエラティックが区別され、象形的なヒエログリフから線画ヒエログリフを経て、線文字のヒエラティック、最終的にデモティックに至る省略過程として派生関係が説明されている。〔Champollion le Jeune ''Grammaire Égyptienne'' p12ff. シカゴ大学 (p12, p16-18に対応表) 〕 19世紀以降多数の資料が発見され古代エジプト史の詳細が明らかになった結果、これらの文字(あるいは書体)の関係についても新たな知見が加わった。象形性を欠き線文字化したヒエラティックは、線画ヒエログリフが現れるよりはるか以前の初期王朝期からヒエログリフと平行して発達したと考えられ、また、用途や地域、時代による変種もヒエログリフより多い。デモティックは、このうちの下エジプトの行政用書体から発達したものであり、末期王朝時代にエジプト全土の共通書体として、宗教文書を除くほとんどの分野でヒエラティックと置き換わった。〔三省堂『言語学大辞典』別巻『世界文字辞典』「エジプト文字」。字体変遷表を含む。〕ヘロドトスの二分法は、このようにデモティックではないヒエラティックが宗教用文書としてのみ残存していた状態として説明される。ヒエラティックやデモティックとヒエログリフの間の関係も、地域や時代によって、必ずしも一貫した関係ではなかったことが窺われる。ロゼッタ碑文の場合も、ヒエログリフとデモティックの対応が単なる書体差ではなかったため、デモティックを表音性に着目して解読したトーマス・ヤング(Thomas Young)はヒエログリフの解読には匙を投げることになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エジプト文字」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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